三国一の馬鹿息子の館へようこそ

 

ここは魔術理論、実践等について、思うところをそのまま書くところ。
神秘体験は、個人によって異なるし、考え方は人それぞれだから、もちろん異論はいくらでもあると思う。
だが、だからといって、どんな意見でもいいとは思わないけどね。

 

正しいとか、間違ってるとかの話ではない。
俺が言いたいことは、このジャンルは、思い込みのみを拠り所にしてる意見が多すぎる。もちろん当人はそれでも
いーんだろうけど、得てしてそーいうのは、他人には迷惑になるだけだったりするものだ。
ま、そーいう手合いは、実践して、結果を出していけば、自ずとわかるか、仮に成功行になるケースもあっても、
本人が思ってたのとは、全く別の理由からだったりするから、発動率が低すぎたりするんで、実害は、盲信による
物理的、金銭的被害に留まることが多いけどね。

 とか何とか、偉そうに言ってる俺の理論が一番ヤバゲだったりしてw

 あと、もちろん、ここで公開できる話が全てではないことは、あらかじめ断っておく。
術に関する限り、俺は嘘はつかんが、思い違いや記憶違いもあると思うことも、併せて断っておく。
それらが発覚した際は、順次校正していこうと思ってるけど。
 

目次

 T理論篇

    T-1魔術とは

        T-2 術者

           T-3 流派名は、まだない?

              T-3-a 魔神

              T-3-b 魔神との付き合い方               

      T-4 魂の構造

       T-4-a エーテル体

       T-4-bアストラル体

       T-4-cコーザル体

      T-5 魂の種別

       T-5-a 第一種 鉱物

       T-5-b 第二種 植物

       T-5-c 第三種 動物

       T-5-d 第四種 人間

       T-5-e  第五種 魔神

      T-6 霊的存在

       T-6-a 地縛霊

          T-6-b 低級動物霊

       T-6--@ 低級動物霊とは何か?
           T-6-b-A 低級動物霊と位階

       T-6-b-B 低級動物霊の実害と案件の確率

          T-6-c 餓鬼・魑魅魍魎


T-6-d 魔神

T-6-d-@ 眷族と分霊

 

          T-6-e 人工霊的生命体

         T-7 魔術的思考

          T-7-a 真実などない?

 

 

 U魔術道具製作、調達

     U- フランベルジュダガー製作レシピ

 V神殿構築

     V-1 軍旗

V-2 魔術三角と黒鏡

 

V−3 燭台

 V−3−a 燭台の効用

 

V−4 魔術用短剣

 

        V-5 魔術用ワンド

 W実践篇

 

 T理論篇

    ここでは、俺の得た知識や経験に基づき、実践魔術について考察する。

       

    T-1魔術とは

      いきなり結論だが、魔術は所詮裏技だ。しかもゲームや小説、漫画などと違い、実践魔術
            は一見して、地味でかつ不確実なもの。はっきり言って、発動率が一割いけば、もう世界
            ランカーだ。術の発動率でさえそうなんだから、
      成功率となると、もう、どうしようもなく、低いのは当然の話。
 
      だから、最初に断っておくが、単純にお金を稼ぎたい、知識を得たい、というのなら、
            真面目に働き、勉強した方が宜しい。そっちの方がはるかに確実性が高いし、社会的
            信用がつく。

      よく神秘主義に染まった素人は、「科学では解明できない云々」と、世迷言を言っているが、
            そういう奴って、今の科学ってもんを、まったくといっていいほど、知らない。
            魔術で反物質を作った奴なんか、俺は聞いたことはない。

 

      偉い奴は、偉いことをするから偉いのだ。
         
凄い奴は、凄いことをやる。その意味では、反物質を限定的にせよ作れるに到った
      科学のほうが凄い、という事になるね

      では、何故魔術をやるのか?そういった事情をすべて把握しているのに何故?


      答えは簡単で、しかも三つある。 
      一つは、いかに最新科学が優れていても、それを活用するには、莫大な費用がかかるため、
      その恩恵に預かれないからという、極めて情けない場合。
 
      二つめは、社会的その他の理由により、表技を使えないため、裏技に走る場合。運悪く、
      化け物が敵になった場合とかも、このケースに入るだろうね。
 
      三つめは、理由は兎も角、魔術そのものが好きな場合。好きなものは好きなんだから、
      しかたがない。幸い、現代は魔術をしていても、火あぶりになったりはせんので、
      よい時代になったもんだ。

      で、一言で「魔術」といっても、ジャンルはさまざま。俺のように魔神を召喚する奴もいれば、

      自然魔術系の「魔女術」、アメリカンブードゥー系の「魔女術」、ネクロマンサー、憑依魔術、
      混沌魔術、その他いくらでもいて、それは物語の世界ではなく、実際にいて活動してる。
      俺は他流を批判する主義ではないから、誰がどのような流派だろうが知ったことじゃない。
      もちろん、俺のやり方と真っ向から対立した考え方による流派もあり、そのやり方には異論
      は当然あるが、それはお互い様だろう。

 

      つか、そんな対立など、本当はどうでも宜しい。仕事が成功行で終われば、それでよし。
      所詮裏技なんだから、格好つけてもしょうがない。でも、そう言い切ってしまうと、この項目の
      立つ瀬も浮かぶ瀬もなくなるから、いわば無理矢理格好つけることにする。
 
      でも、門外漢があらぬ口出しをするのも変な話だから、俺はあくまでも、俺のやり方における、
      召喚魔術についてしか論ずるつもりはない。ゆえに、議論の根本だろうと、細部だろうと、
      他流とは違う点もあれば、見方によれば、他流を批判しているように感じる部分もあるかもせん。
      多少煽るような文章になる可能性はあるんで、不快に思われる他流のプロの紳士淑女の方々には、
      ご容赦願いたい。


   T-2 術者

      術を行う者を、術者と呼ぶ。まんまだ。でも、ただ「まんま」に定義したのには、理由はあっ
            たりする。
      2ちゃんの悪魔スレとかで、「術師」と用語を変えてるレスを時折みるが、そういった人は非実
            践者なら、術者に対する、なんとなくの畏敬とかあるのかもせん。実践者ならプライドあるん
            だろうなぁ。

      俺の流儀では、それは愚かな所業だ。え〜い、いちいち「俺の流儀では」と念押すのが面倒に
            なってきた。どーせ、俺は俺の流儀からしか書かないと前述したんだから、今後は略すると
            しよう。
     
      繰り返すが、術なんて、裏技なんだから、真っ当に働き、苦労してる世間様と較べて、どう
            しようもない屑野郎、というのが術者だ。だから「師」なんて、とんでもない思い上がりだ、
            ということになる。
            もちろん同派の師弟関係においては、「師」「師匠」などと呼ばれるのは当たり前だが、
            それはその関係においてのみ通用する話でしかなく、世間的には屑はどこまでも屑。
            やむを得ぬ事情がある場合以外には、はっきり言って、お奨めできない道。
 

      まず、術者をやり続け、ろくな末路を迎えたやつが、あんまいない。

      薬や肉欲に走り、体を壊し、術も使えなくなって、餓死しちゃった奴。
      気が狂って(それは元からかもw)、地雷をリアルに踏んで、逝っちゃった奴。
      召喚した化け物の制御に失敗し、食われちゃった奴。
      成功率が低いんで誤魔化すようになり、詐欺容疑でたい〜ほされ、
            社会的に再起不能になった奴。 

      そんな連中は、いくらでもいたし、これからも出るだろう。

      俺はマゾではない。なのに、い〜だけ暴言書けるのは、何のことはない。
            今の俺は、術者などではないからだ。
            術と称されるものは、今でも普通に使えるけどね。

            ここで、矛盾が生じているように感じるのは当然だろう。冒頭で、術を行う者を「術者」
            と定義しておいて、40行もたたないうちに、もうそれと矛盾する事を平気で書いている。
 
            何のことはない。俺が行っていることは、世間的には術そのものだろうけど、正確には、
            俺の流派において、術とは呼び難いものなのだ。
            本当は、こんな大事なことは、最初に書くべきなんだろうが、流れとしてはこれが最適と、
            勝手に決めた。決めたんだから、これはしかたがない、と諦めてもらうしかない。わはは。
 
            では、ここでようやく俺の流派について、詳しく語っていくことにしよう。そうでないと
            混乱の収拾がつかなくなる。


        T
-3 流派名は、まだない?

            格好悪い
orz            
            大上段に振りかぶっておいて、いきなりこれかよ。まぁ、ミーハーな俺のふざけた感性に
            ビビっとくる名前が、今はまだ浮かばないんで、仕方がない。
            いずれ糞恥ずかしい名前になるんだろうけどね。

 
           もちろん、これには理由がある。


            極近まで、俺は魔術部門の正弟子をとらなかった。召喚から得た経験を元に他人に教えた
            ことはもちろんあるが、召喚させたりはせんかった以上、そういうのは弟子とは違う。
            弟子がおらず、事実上、人権持ってるやつ独りでやってきたから、流派を立てる必要を
            感じなかったんだ。

しかも、これは決して我流というわけでもない。だから「我流」と名乗ることすらできんわけ。
            ちなみに、名前が決まったらこの項目は再編集されると思う。「○○流!」とか、え〜格好し〜
         
するんだろうね♪

まぁ、そういった極めてい〜加減でありながら、これは自慢だが、中身は相応に濃いはずだ。

 

T-3-a 魔神

            魔神を召喚することには、まず、相手となる魔神とはなんぞや、という所から書かねばなるまい。
            魔神とは、今は霊的存在のくくりになっているとされる、どっかの世界の強力な化け物を指す。
            決して、無意識下の意識とやらから発生する、謎の人格ではない。連中は、実際に、いる。
 
            これは、俺がかつて密教系の寺で厄介になってた経験の影響が大きい。俺は仏教徒ではないが、
            寺の連中と奇妙な体験を繰り返すうち、知った。神も仏も、いるんだ、と。
 
            神も仏もいるのなら、当然悪魔だっているだろう。もちろん、自然の一面的象徴とか、概念から
            生まれたとされる奴らもいっぱいいるんだろうが、これだって実際にいたりするから、世の中は
            面白い。恐らく、どっかの世界にいる化け物に、その神名がつけられたんだろう、ということで、
            あっさり説明はついてしまう。
 
            だが、仕事上、その「悪魔」とつきあううち、というより元々俺は歴史ヲタなもんだから、そう
            いった連中もその昔は神として祀られてたことは知っていた。そしてその神性を利用した方が、
            術が上手くいくと考えたわけだ。これは俺が初期に抱いていた、「大いなる勘違い」によるもの
            だったが、神々だって、勘違いはよしとしてるから、今となっては、それはどうでもいい。
 
            連中の最大の特徴は、時空を超越し、しばしば因果律に干渉すること。
            説明に便利だから、高次元生命体、という言い方をする事は、たしかにある。大嫌いな定義では
            あるがね。なぜ嫌いかというと、これまた理由はある。
      
            第一に、つか、これが理由の大半だが、高、という語が入ることにより、あたかも連中がそれだけ
            で偉いかのような錯覚を与えてしまう。
 
            次元が高い、というだけで偉いのなら、俺らは、二次元人や、三次元人よりも偉いのか?
            そんな、生まれによる差別など、後述する魔術的思考とは相反するだけだ。
 
            偉い奴は、偉いことをするから偉いのだ。王侯貴族の家系に生まれようと、そいつ自身が凄い
            ことをしなければ、そいつはちっとも凄くはない。
 
            たとえば、戦国時代、大軍を単騎で突破し敵の大将に斬りかかりながら、敢えてとどめを
            刺さず、帰っちゃった凄い大名がいた。凄い事をしたからその大名は凄いんであって、そいつが
            何もしなければ、ただの長尾家の次男にしかすぎなかっただろうよ。
            数多くの大名家のうち、そんな変な、つか、凄いことやった奴はその一人しかいない。
            ゆえに、そのあまりの凄さから、軍神として畏れられたわけだ。
 
            魔神にしても同じこと。仕事やらん奴。口だけの言い訳野郎など、
                       
誰が認めてなどやるものか。
 
            第二の理由として、何のことはなく、本当に高次元であるという根拠が薄弱だし、次元という
            数学的概念のみで、全部が説明つくわけじゃない、という事。
 
            単純に、亜空間技術の応用で、時空を超越することは可能だし、魔術的思考の技でも、時空
            超越は不可能ではない。魔術的思考、といった訳ワカメな手法でなくとも、純粋にテクノロジー
            として亜空間技術が開発されちゃうかもせん。
 
            連中を神と崇めるものがいようが、悪魔と罵るものがいようが、そんなのは関係ない。
            魔術は宗教ではないのだから。
            だが、神と称して構わないほど、「凄い事」をやるのなら、「魔神」と呼ぶのもよいだろう。
            「魔神」とは元々善悪を超越した偉大な力を有し、それを存分に振るう者を指すのだから、
            もっとも連中にはふさわしい。それが偉い事なら、そいつは「偉い魔神」ということになる。
 
            まぁ、正義だの悪だのは、社会的には人間のその時の都合で決定される、という側面があるから、
            宗教的束縛がなければ、「悪魔」と呼ぶのは適当ではないのは確かだ。  


        T
-3-b 魔神との付き合い方 

最初に断っておく。魔神との契約はありえないから、この際除外して構わない概念だ。
            契約とは、その条項を設定することにより、複数の者が、対等の条件となることを意味している。
            しかし、魔神の世界は、完全序列主義。何兆いようが、不可思議数いようが、同格の者はいない。
            ソロモンの小鍵は、目安として大まかな位階に分けられ、それも実は正確ではないんだけど、
            実際はそんなぬるい関係ではないんだ。             
            連中をこっちに召喚し、そいつらの力を当てにする以上、そいつらの流儀を尊重するのは当然。

            よって、上下関係は成立するが、同格はありえない。よって、契約は成立しない。 

            魔神を実際呼んだとき、「術者」はどう対応するのか。やっと懸案の「矛盾」の項目に近づいた。
 
            「術者」は、魔神の上位者を「演じる」。強烈な自我によるか、結社の権威にすがるか、
            単純な勘違いか、理由はなんでもいい。

            兎に角演じ、その「役」を貫いた時、もし魔神の方でも、術者の僕を「演じる気」になれば、
            「術」は発動する。
 

            実は、こっちの方が、俺の流派(また書いちゃった)より矛盾を含む。前述のように、
            術者は裏技に走った屑野郎だから、仮にも「神」である魔神が本気で従うわけがない。
            まぁ、魔神としてではなく、人間より下位者と定義された「悪魔」を「神の名の下、
            神に最も愛された人間という種族の一人」が命じる、と、堅く信じている連中は
            意外なほどいるけど、何を信じるかは彼らの自由だが、やっぱり偉いことをする奴の方が、
            そうでない奴より偉い理屈により、それも成立せんわな。
 
            「悪魔にたよるだけで、何もせん人間」より、その悪魔とやらの方が偉い事になるんだから。
 
            ゆえに、術者の所業は、魔神連中からみたら、哀れなほど滑稽となる。
 
            本気で信じているわけでもない、畏れ多いって事になってる名前を、ガタガタ震えながら、
            必死こいて唱える。
            (唯一神にすがらず、他の霊的存在の力を当てにするなど、異端もいいところ)
 
            さも自らの方が強いといわんばかりに、魔神のシジル(シンボルとされる図形)を針でつついて
            みたり、火であぶったりする。
            (術者の方が強いんなら、自分でやればいーじゃん。何も魔神の力など当てにする必要がない)

 

        

      でも、彼らだって、発動率は0ではないわけだ。実際には。魔神連中に訊いてみたところ、
      「だって、あまりに哀れじゃないか。気が向いたとき、それなりに力を貸すこともあろうよ」
 
      とのことだった。確かにそれなら、発動率が一割もいけば上等だろう。
 
      それでは、どう付き合うとよいのだろうか?そんなのは、自分で考えるのが宜しい。
            こう付き合うべきだ、というマニュアルに従ったって、どうにもなるまい。
 
      と、この論文もどきそのものを根底から破壊しておいて、それでも敢えて書こう。
        
      何のことはない。魔神より演技ではなく、実際に上位者となって、命令すればよいのだ。
      連中は、位階の上位者の命令なら、よろこんできく、という連中の文化を逆手にとるんだね。
        
      そんなの、誰にでもできる技じゃねーじゃん!!
 
      確かにその通りだ。人は誰でも神となりうる可能性はあるが、可能性、というだけの話。
      ここで大切なのは、人が神になれれば、それに越したことはないが、必ずしも神になる必要は、
            まったくない、という視点。
 
      そもそも、仕事にしろ、そうでないにしろ、何らかの達成したい野望なり目標があって、
            魔神を呼ぶわけだから、これは一種の軍事的作戦活動に他ならない。
      作戦活動である以上、指揮官は指揮するのが仕事。
            何も兵士すべてよりも戦闘力で優れている必要はない。
      指揮官は、どこの位置に配置しようが、命令することで、該当作戦に、「実際に参加する」。
            つまり、ただ役割分担というだけの話であって、術者が頼んだら頼みっぱなし、というのとは、
            根本的に異なるわけだ。
 
      指揮官という道を選ぶ。そして兵を募る。兵は戦う。それだけの事。
            それ以上でも以下でもない。
        
      たしかに、困難な方法ではあるかもせん。でも、決して不可能ではない。
      不可能だったら、そもそも俺ができるわけがない、というのがその根拠。
 
            俺が行うのは、指揮であり、そういう意味では、正確には「術」ではない。
            だから、「術と称されるもの」という、あいまいな書き方をしたわけ。
            まぁ、用語としては、社会一般的にはこれも術、なわけだけど。
            魔神を指揮?それって術じゃん、ってなわけだ。
 
            というわけで、俺が「元術者」と名乗っている本当の理由は、こういう事だったりする。
            社会的には兎も角、俺が本当の意味で「術者」だった期間は、異常に短い。
            時間にして、30分ほど、だったかな?そんなもんだ。
            なにしろ、最初の儀式において、あまりにも反応がなかったんで、業を煮やし、やり方を
            変えたんで、俺の内心は兎も角、連中からみたら、俺は術者とは看做されなかったわけだ。
            これも初期の「大いなる勘違い」の一つだが、結果オーライw
 

   T-4 魂の構造

      いきなり魔神そのものについて直球できたけど、そもそも、霊的存在とはなんぞ?
            ということを知らねばならん。というわけで、魂の構造分析から入るとしよう。

    魂

 

      魂は、大きく三つの構造体からなっている。名称は教義などによって様々だと思うが、
            俺はブラヴァツキー信者ではないものの、これが一番しっくりくるっつーか、実は魔神からの
            受け売り。「人界においては、エーテル体と呼ばれててな」ってな具合にね。
     
      一番外側がエーテル体。その内側にあるのがアストラル体。核となっているのがコーザル体
            という。
      人間は、1人につき、一個、これを持っている。
       
    T-4-a エーテル体
      
            諸説あるが、この部分は、魂の保護膜のようなもん、と思ってくれて構わんと思う。

            この部分は転生せず、普通、死ぬと壊れてしまう。そして生まれる時、かどうかは知らんが、
            魂が転生した時、その都度形成される。
 
    T-4-bアストラル体

      魂の記憶を司る、メモリーのようなもん。でも、この部分も転生せず、やはり普通は、死ぬと
            壊れてしまう。
      幽霊実在説をとる人には、何らかの条件で、何故かアストラルが壊れず残ってしまい、
            それが見えちゃうことがある、という説を唱える者もいる。
            また、過去生記憶がある人は、これが何故か転生先にも付いてきちゃったから、という説を
            唱えている人もいる。
 
      アストラル体は、その生命体の形そのものの形をしている。だから上の図とは、様子は違う。
      その膜であるエーテルも、当然それを覆っているわけだ。アストラル体を視覚的にとらえると、
            細かい霧状に見える。よく、霊視能力者が、「この霊体は、若い女性です」とか言っているが、
            それがきちんと肉感をもって捉えているケースばかりではなく、このアストラル体からの類推
            である場合もあると思う。
     
      つまり、ロック兄ちゃんの幽霊が、女性として認識されるケースも、往々にしてある、
            というわけだw髪型とかで勘違いしちゃったら、当然そうなるわけだ。
 
     T-4-cコーザル体
      魂の中核。この部分だけが転生する。化け物に食われる、その他もろもろのアクシデントにより
            破壊されない限り、不滅の存在とされている。当然ながら、因縁のたぐいもひきずってくる
            わけだ。なにしろ、この部分しか基本的に転生しないんだったら、そうでないと、「前世の因縁」
            が成立せん。
 
      俺は、このコーザル体は、アストラル体をコピー再生させる能力があると思っている。
            それだったら、本来、死と共に失われてしまったはずのアストラル記憶がある人に対する説明が
            つくからだ。まぁ、過去生記憶そのものが、単なる思い込みでなければ、の話だけどねw
 
    T-5 魂の種別

      ここもまた、神智学に沿った形で説明するのが、楽。だけど注意してほしいのは、この「種別」
            という概念。

      神智学では、「段階」と称し、あたかも段階が進めば、それだけ高等であるかのように感じさせて
            しまうのが、非常に差別的で、気に入らない。ゆえに、単に種類が違うもの、と俺は考えている。
 
    T-5-a 第一種 鉱物

      第一の種族は、鉱物。神智学では、石だって、立派な生命体だ。つか、石使いの連中は、
            ちょっとしたパワーストーンフリークも含め、それは感覚的には知ってる事だろう。
 
            基本構造は、人間とちっともカワランが、最大の違いは、「群魂」である、ということ。
            群、ということは、集団で一個の魂。つか、人間と魔神を除くと、ほぼすべての生命体が
            この性質をもっている。つまり、地下から掘り出され、カットされても、魂本体的には、
            ノンダメージ、というわけだ。
 
      まぁ、魂の質としては、前述の通り、何ら人間より劣った存在ではない。しかしながら、
            鉱物の悲しさ、能力としては非常に限定的。その限定されてる部分にしたって、種族として    
            特に優れている、というわけでもない。
      もちろん、人間だって、走るのがはやい奴もいれば、遅い奴もいるのと同様、
            能力に秀でた固体は存在する。
 
      もうお気付きだろう。
      なんたら石は、これこれの力がある、というのは、確かにあるが、その能力は、その石に
            よって異なる。しかし、生きている以上、常にコンディションがよい、ということもない。
       
            それに、性格も実はあって、常に人間に協力的、というわけでもないんだ。その石の所有者
            だから、その力を使う?奴隷でも使っている気なのだろうか?そういう人は。
 
      そもそも、種族間ギャップ、というものは、そう簡単には埋まらない。
            人間種族同士だってそうだろう?
      ましてや相手は鉱物。人間性なんか、欠片もないw
      所有するもなにも、人間間で金銭取引があろうと、そんなのは石の知ったことじゃないんだ。
       
      逆に、石を拝んでいる奴。石の奴隷になってどうする?人間様よ。もちっとプライド持った
            方がいーんでね?
      そんな奴に、石様が力を貸すとでも思うかっつーのw
 
      つか、石には、そんな拝まれるほどの化学的性質なんて、実はない。
       
      ただ持ってる人の運気にまで作用する、非解明の化学的性質がある、とまで人体に作用する
            謎の放射線が出てるとすれば、その人は、運気云々以前に、普通にガンにかかって死にます。
 
      じゃあ、実際に運気とかに作用する石がある以上、それはなぜ?という疑問がでてくるわけ
            だが、答えは簡単。
 
      その石が、仕事したから。
 
      もし、その石の所有者のことを、石が気に入り、そいつを援助することで武勲を重ね、
            その功により、より高みを望める見込みがあって、かつその石のキャパが、その仕事をこなす
            だけのものがあれば、
 
      石は、必死こいて、働くこともある。戦友である人間のために、ね。
 
      こともある、という点が、なかなかに悲しいものがあるんだが、石の意志だから、これは仕方が
            ない。そして、基本的に鉱物生命体は、異常なまでに長寿だが、そういった仕事は、その生命力
            をガンガン消費してしまう。
      そもそも、鉱物生命体は、人間の都合で存在してるわけじゃないんで、かなり無理するわけだね。
            たとえ光の力を使って、多少力を補うことがあろうとも、無理することには違いない。
 
      つまり、ガンガン仕事した結果、死亡、ということは、よくある。そうなると、その石は、
            単なる魂の抜け殻に過ぎん。群魂から外れ、次の段階、と連中が称するものになるならいいが、
            単にその魂の部分が消滅するだけなのかもせん。
       
      石を指揮し、あっぱれ戦死となったら、その抜け殻を丁寧に埋葬し、空に向かって敬礼し、
      「無茶しやがって」
      とつぶやこう。さすれば天から、その戦友は笑顔で応えてくれるかもねw
 
      
 
      T-5-b 第二種 植物
     
             第二の種族は植物である。これまた面白い性質を持っている。群魂なのは当然だが、非常に奇妙な

            ことに、生命体として死亡しているにも拘らず、その死体が魂を維持している場合が、往々にして
            ある。枯れ木、特に枯れた枝(柳の枝最強w)や、乾燥させた木材などでよくみられる現象。
            魂維持レベルだけで考えるなら、最強に近いのではないだろうか?
 
      石との相性が、他の種族とくらべればの話だが、割合といい、というのも特徴といえば特徴。
      魔術ワンドの柄を木で作るのは、こうした特性を利用している、という側面もある。
 
      やはり、個体によって性格はある。同じ木から切り出しても、同一でない、というのも面白い。
            鉱物でも同じではあるんだけど、元々一本の木だろ?という認識は、なかなか分かってても
            納得せんものがあるね。

だから、魔術武器の材料として選択するときは、石を購入する時と同様、一本一枚、確かめる
必要はある。まぁ、石よりまし、という程度ではあるけど、人間に協力的な奴が多い、

という印象はあるけどね。

        T
-5-c 第三種 動物

            第三の種族は動物である。生物学的には兎も角、ここでは虫や細菌の類もこのグループに入る。
            当然ながら群魂で、神智学においては、高等な動物と下等な動物に分け、下等の群魂は多くの固体を
            含み、高等の群魂は、少数の固体で一個の魂を有する、とされている。
 
            まぁ、それは概ねその通りなんだろうけど、それが群れ単位なのか、巣を有している場合はどう
            なのか。そもそも、バクテリアに到るまで、魂があるのだろうか?
 
            キリスト教では、目に見えない生物について、聖書で書かれてない、という理由で、その存在を
            なかなか教会は認めようとせんかったけど、魂があるかどうか、となると、まぁ、否定するん
            だろうねぇ。

            日本人だと、一寸の虫にも五分の魂、という言葉があるから、まぁ、魂があってもい〜んでね、
            といった程度で、逆にいえば、五分しかないんで、殺しても殺生にはならんわけだ。
            徳川綱吉の解釈はまた別のようだけどw
 
            で、肝心の術に関してだけど、基本的に、この種族はあんま関係せん。犬神とかの応用法もある
            けど、あれはまた特殊な使い方だし。狐?化け物である狐は、動物の狐とは、まったく別物。
            ゆえに低級動物霊は、このカテゴリーには入らない。まぁ、愛猫が化けてでた、という話もある
            にはあるんだが、いずれにせよ、生きてないやつは、魂の生物分類の範疇外。
 
    T-5-d 第四種 人間

      第四の種族は人間である。普通に目でみえる種族では、この種だけは群魂ではなく、一個体で
            一つの魂を持つ。
            ここで気をつけるべきなのは、群魂の種族が、霊的段階とやらをへて、人間にまで進化、
            あるいは成長した、という考え方は、まったくの幻想に過ぎない、ということだ。
 
            そうした考え方は、人間もやがて次の段階を迎え、神ないし、それに近い存在になる。
            そしてそのための方法が、魂の修行である魔術その他の精神世界を極める、という錯覚を
            おぼえさせ、その多くは詐欺行為を助長している。
 
      カルトの中には、宇宙からの放射線だの、彗星のちりだのの影響で、人間が進化する、という
            電波すらいる。
            石の話と被るけど、そんな謎の放射線により、人間の魂構造まで変化するとなると、その前に
            生物的に悪影響を受け、普通にガンにかかって死にます。
 
      また、己を神に選ばれた超人として喧伝し、人が神へとなる道まで説いている奴までいる。
            だったら、お前だけとっとと行っちまえ。
            そんな道を示されても、ありがた迷惑になるだけの話。
 
            魔術、とりわけ召喚魔術において、魂が次の段階に進化するなどということは、ありえない。
 
            もし、その方法を求めて、このホムペを覗いた人がいたのなら、はっきり書く。
            他を当たってくれ。
 
            召喚魔術は、文字通り、魔神を召喚し、そいつ(ら)を指揮する技術であって、そのために、
            指揮するにふさわしい人格を磨くことはあっても、それ以上でも以下でもない。
 
    T-5-e  第五種 魔神
      
            第五の種族は、魔神である。こいつらも、一個体で一つの魂を持つ者が多い。多いってことは、

            例外もいるわけで、そうした連中を考えると、ここで第五の種族、と一くくりにしてしまっても
            いいものかどうか。
 
      まして、その「例外」が、数としていっぱいいるとなると、尚更だ。
            どういう存在かというと、死なない連中。
      つか、最初から生きてないから、殺せない連中、といった方が正確かもせん。
            生きてない以上、魂はない。
      
            いわゆる死神である死天使なんかも、このカテゴリー。自分が生きてないから、生きてる奴が
            嫌いなんで、普通、術者のいうことなんか聞きもしないし、キリスト教の宗派によっては、
            主神の言うことすら聞かない、とするものさえある。
      まぁ、主神の全能論を否定してるんで、異端バリバリなんだろうけどw
 
      で、魂のある方の連中は、基本構造は俺ら人間と変わらない。やたらと長生きで、時空を超越
            し、魔術的思考を普通にやって、変な怪しい特殊能力を持つやつも多いってだけの話だ。
            まぁ、そうした違いのため、魂も人間のそれとは、多少違いがあるようで、だから第五種として、
            人間と区別した。前述のように、魂がないのもいるしね。

 
    T-6 霊的存在

      これまた微妙なカテゴリーだが、魔神を語る際、この観点から考察しないわけにもいかないだろう。  
      まず、霊「的」と、わざわざ語り続けているのには、意味がある。というのは、この存在は、
            霊以外も実は含んでいるからだ。
 
      実践篇において、詳しく語ることになるだろうが、いわゆる「土地・建物浄化」の仕事の際、
            もちろん仕事は成功し、邪気は祓われるんだが、どうも感触が妙だったことが、一度や二度
            ではない。

      何が妙だって?というと、そこを荒らしていた、もしくは巣食ってたターゲットが、霊体を
            持ってなかった。
      アストラル体も、エーテル体もなし。魔神のタイプの一つである、「最初から生きてない連中」
            とも違う。

      まぁ、それらが、単なる幻であるなら、それならそれで、楽な仕事としてオッケーなんだろうが、
            生憎どんな相手だろうが、全力であたる主義ゆえ、こっちが背負うリスクは同じ。たとえ幻
            だろうが、時として、殆どまったくといっていいほど、霊感のない人ですら、条件によっては
            そいつらを「見てしまう」場合もあるんで、成功行にもっていくためにも、何とかせんと
            いかんかったわけだ。
 
      幸い(?)、霊体に対してのケースと同じ戦術で、そいつらを消滅はできたんで、結果オーライ
            ではあったし、こっちは別に思想家でも研究者でもないんで、成功したのなら、相手の正体など、
            どうでもよかった、というのはあった。
 
      だが、こうして「理論篇」と銘打ったからには、そいつらの問題も、避けては通れない。
 
      ましてや、そいつらが、いわゆる地縛霊の大半なのなら、尚更だ。まぁ、本当に大半なのかは
            知らない。俺は地縛霊が、地球上でどれだけはびころうが、別に知ったことじゃない。
            仕事になるから、浄化を引き受けた事がある、という程度でしかない。だから、経験則においての
            印象だけなんだけど、それでも依頼の9割以上は、今から考えると、このケースだったのでは
            なかろうか?

 
     T-6-a 地縛霊
 
      では、地縛霊について、その特徴をあげていこう。

                           @
    基本的に、人のいう事を聞かない。
                            A
    生きていた時の、最後の一日を繰り返す。
                            B
    自殺者や、事故で即死した人が多いようだ。
                            C
    自分が死んでいる、という自覚はない。
 
      大体、この総てが当てはまる。で、いわゆる地縛霊の処理法として一般的なのは、Cを解決する
            ことにより、当人に、そこにいちゃいけないと自覚させ、昇天させる、というものだ。
 
      だが、ちょっと待て。@がある以上、どうやって自覚させようというのだ?
      生きている人間は、脳みそで考えている。当たり前の話だね。まぁ、心臓の細胞構造の近似性
            から、一部は心臓で考えている、という説もあるけど。いずれにせよ、肉体で考えているわけだ。
            で、脳みそも心臓もないあいつらは、どこで考えているとでもいうのか?
 
      奴らには、耳もないんだ。目もない。それで坊さんのお経が聞こえるとでも?
            たとえ聞こえたところで、それを理解するとでも?考える能力があるかどうかも疑問なのに?
 
      魂が聞く?魂が考える?だが、残念ながら、アストラル体はアストラル記憶を持つが、考える能力
            があるかは疑問符がつくし、コーザル体も、あれは魂の核というだけで、アストラル体再生機能を
            もつという、俺の自説が仮に通用したところで、それが脳細胞の代わりを示すことにはならない。
            ましてや、外殻であるエーテル体は、中身の保護のための膜であって、感覚器官としての役割は
            確認できていない。
 
      お経を唱えた時、西方浄土より、憤怒の形相で、怪しい二人組が現れ、そいつらがふんずと
            霊の両腕をつかんで、無理矢理あの世とやらへ強制連行、ってんなら、まだ話はわかるけどね♪
            しかしそうなると、仏の眷属って、入管の強制執行官みたいで笑えるが。
 
      でだ。俺はこいつらの正体に関して、自説を持っている。
 
      題して、「地球の記憶」説!
 
      誰でも知っていることだが、地球には、地磁気という磁場がある。地磁気を知らない人は、
            方位磁石を買ってくればいい。地磁気があるから、方位磁石は一定の方向を示す。近くに地磁気より
            強い磁場があったりすると、正確に働いてくれなくなるけど。また、自転の極と磁場の極は、同一
            ではないことも、この学説とは関係ないけど、一応心得ておいた方が宜しい。
 
      でだ、CD,DVD世代にはピンとこないかもせんが、磁場は、情報を記憶させる作用がある。
 
      もうおわかりだろう。地縛霊の大半は、地球がその磁気を使って記憶してしまった、
            映像にすぎない。
      
            最後の一日を繰り返すのは、地球が一日で一周するのと関係あるかどうかは知らない。
            関係ありそうではあるけどね。
 
      古戦場とかが地縛霊のメッカになる理由として、考えられるのは、戦場は、生命力が爆発する
            場所だから、それだけ地磁気に記憶されやすいのかもせん。かもせん、ってだけだけど。
 
      よく地縛霊が、いって精々数百年程度の、言ってしまえば「若い」やつに限定されるのも、
            この説の裏づけになる。
      俺もこの業界では、それなりに長いが、いまだに「アンデッド=ドラゴン」すなわち、
            恐竜さんの幽霊には、出くわしたことはない(竜神は、恐竜さんの幽霊じゃないんで、
            アンデッド=ドラゴンではない。第一、連中はしっかり生きてるわけだしw)。
 
      古いビデオテープとかを再生してみるとよくわかるが、古い磁気が時間と共に劣化し、
            映像は不鮮明になっていく。
      ゆえに相応の特殊な条件でもない限り、恐竜はおろか、ナウマン象の幽霊も現れない道理だ。
 
      では、地縛霊の大半(全部とはいってないので注意!)が、この映像だということにして、
            ならばこいつらは全くの無害か、というと、残念ながら、そうではない。
 
      脳みそは、言うなれば電気である。脳波が検出できる以上、そういうことになる。
            で、電気ということは、磁場が発生する。そして、地縛霊の磁場が、この脳みその磁場に
            上書きされちゃうと、いわゆる「憑依」と、現象的には同一の状態となり、霊とは実は
            まったく無関係ながら(!)、その人も死者と同じ運命を辿る危険が発生する。
 
      「自殺の名所」が生まれる、一要因にはなりえるわけだ。また、後述の餓鬼などの魑魅魍魎が
            そういう場所には密集する傾向にあるので、そちらも要因となる。まさしく悪循環なわけだ。
            素人が九字切ったりしたら、さらにやばい状態となり、浄化行がめんどくなるので、いずれ
            実践篇で詳しく語るが、素人はこういう場所には手を出すべきではない。
 
 

     T-6-b 低級動物霊

 

      地縛霊と並び、商売のネタになる相手で、凶悪な奴は、限りなく凶悪であり、味方としては
      概して厄介、敵とするなら手強い奴ら、というのが術に関るものとしては一般的。
 
      こいつらに憑かれると、被憑依者の自我が肥大化し、義理が薄くなるという特徴が多くみられ、
      それによる実害が発生し、その処理を依頼されるケースが多い。
 
      だが、注意すべきなのは、低級動物霊そのものが悪、というわけではないという点。
 
      低級動物霊であっても、超然としていて、人界に深く接触してこないものも、大勢いるし、
      低級動物霊の総本山とみなされる事が多い某神社は、どちらかというと人間に好意的ですら
      ある。
 
      ある意味では、その現世利益的な力を欲した人間が、己を制御できずに自滅している、とさえ
      いえるんだ。まぁ、儀式でもして憑依させちゃった奴なら兎も角、知らずに乗っ取られた、
      というケースの方が多いんで、この意見は人間にとっては承服できないことだろう。
 
      俺も、正直そう思うが、ここで大切なこと。
 
      人間の理屈は、奴らには通用しない。
 
      これは、低級動物霊に限らず、総ての霊的存在(時には人霊もふくめて)にあてはまる大原則。
      人間が知ろうが知るまいが、奴らには知ったことではなく、ほんの毛ほどの利益が提供されれば、
      その後どれだけの災厄が起ころうが、奴らに罪の意識などない。その毛ほどの利益ってやつが、
      たとえば口約束にすぎなくても、「希望を感じた(希望を期待、野望と置き換えてもおk)」という
      利益が、被憑依者に発生したことにされる。
            逆にいえば、奴らの理屈など、人間の知ったことじゃない。
 
      車道に10円落ちてるのを見つけました(ラッキー)!
            それを拾おうとした途端、車に轢かれました。
 
      そんなラッキーなど、認めたくないだろう?
 
     T-6--@ 低級動物霊とは何か?
 
      この問題は、研究者の間で、長いこと議論されてきた、ってんなら、その学説を引用すりゃ
            い〜んだけど、残念ながら、そうした文献は見当たらない。
 
      何故か?答えは簡単。昔は狐狸のせい、ってことにされ、深く正体を考える必要などなかった
            し、近代以降は、いわゆる迷信の類とされ、議論の対象とならなかったからだ。
 
      よく誤解されている事だが、奴らは死んだ動物としての狐や狸の成れの果てではない。
      奴らは、最初から低級動物霊として、この世に発生する。ゆえに幽霊の類ではないんだ。
      生まれた時は、彼らは球状であり、いわゆる「球霊」と外見上はほぼ同じ。だが、球霊が、
            主に自然霊であるのに対し、奴らはそれとは明らかに違う成長をみせるし、その幼体にしても、
            悪さをする奴は、結構いる。
 
      どれくらいの期間が必要なのか、或いは経験を積むのかは知らんが、幼体は、やがて何らかの
            形態をとるようになる。ほとんどは、動物の形をとり、中には最初から人間の姿をとるという
            説を唱える術者もいるようだが、成長過程を確認できるほど長生きする人間はいないので、
            確認のしようがない。よって、千年、二千年、といった説も、あくまで説でしかない。
 
      化け物の年齢自己申告ほど、当てにならないものはない。時間の感覚が違うからであって、
            必ずしも奴らが嘘をついているわけではないところが、厄介ではあるね。単純に嘘なら、
            術者に嘘をついた不届き者として成敗できるが、この場合はできないんだから。
 
      奴らはやがて、己の霊的波長を限定的ながら、変える技を身につける。それにより、化ける
            ことができるようになるわけだ。霊視能力者は、視覚に頼る傾向にあるんで、騙されるケースが
            後をたたない。ベテラン霊視能力者ですら騙されることがあるんで、要注意。
 
      奴らが変化(へんげ、と読む)する対象は、実に様々。仏、八百万の神、死んだ肉親、死んだ
      ペット。その他いくらでもある。90年代、天使症候群が流行ってから、天使形態も増えた。
      中には魔神の形態をとるやつまでいる。まぁ、一般書籍で確認できるようなメジャーなやつが
      多いんだけど、いずれかなりマイナー(マニアック)な魔神も出てくるんじゃないかな?
 
      中国では、動物に変化できる段階を妖跋、人間形態になれる段階を妖怪、仙人と同等の
      力を使える段階に達した奴を妖仙と呼び、おそれたらしいね。
 
      では、動物の幽霊でもないのに、なんで「低級動物霊」と呼ばれるのだろうか?
 
      いくつか理由はある。奴らの本性が、動物の形態をとることが、圧倒的に多いこと。
      自ら稲荷などで規定された狐の位階を名乗ることがあること(注意すべきこと。稲荷自身は
      狐ではない。よって低級動物霊ではない。稲荷の狐は、あくまでも使い姫にすぎん。いって
      しまえば、使い魔w)。
      憑依された人間から、電話での会話にしても、リアルに会うにしても、動物臭を感じることが
            あること。場合によっては、文章から感じ取ることだってあるんで、電話の場合と併せて
            考えると、これは純粋な体臭とかではない。でも、霊感ない人だって往々にして気付いたり
            するから、世の中はおもしろいw
 
            そして、これまた誤解されることが多いのが、この「低級」という区分。
            低級だったら、どうせ大したことね〜んじゃね、という事で、油断して酷い目に遭ったやつが
            今までどれだけいたことか。
 
            この「低級」は、決して奴らの能力を過少評価して、そう定義しているんじゃない。
            中国でいう、いわゆる妖仙にしたって、低級動物霊に入る。
 
            恐らくこの区分は、竜や蛇神とかと区別するために名付けたんだと思う。
            面白いのは、竜や蛇神が、だからといって「上級動物霊」と呼ばれないこと。
            竜は普通に竜。蛇神は蛇神と呼ばれるね。
  

T-6-b-A 低級動物霊と位階

 

稲荷は正一位。繰り返しになるけど、稲荷は狐ではなく、狐はその使い姫ってことになってはいる。

要するに使い魔の類の立ち位置。しかし、だったら大したことねーんじゃね、というのは、正直甘い考えだ。

 

建前と実態とは異なるものだ。

思いっきりぶっちゃけるが、日本の神々は、大別して、土地神と禍神に分けられる。豊穣神や、竈神、

火の神、そして天照やイザナギのような支配神も、領地があるんで、土地神に入れても構わない。

でだ。狐は思いっきり禍神。そのままだと暴れて迷惑なんで、稲荷の手下ってことにして、高い位階を

つけて押し付けた。要するに丸投げだ。

 

禍神は、凄い力を持ってるのがデフォ(でないと祀ったりはせん)だから、その力に憧れた人々から

頼りにされるのもまた当然。スタートは100%悪霊の菅原道真公が、学問の神として信仰を集めたのと同じ。

 

歴史的経緯から、狐はその稲荷社の使い姫などでは実質なく、本尊そのものであり、従って正一位という

位階も、このモノのものである、ということができる。

 

ゆえに、術者が「いえ〜い。人間様が低級動物霊なんざ退治してくれるわ」と粋がったところで、そいつが

無位無官の平民だとすると、畏れ多くも正階一位の神の眷属にちょっかい出そうとする不届き者以外の

何者でもなくなるわけだ(稲荷社に祀られてる狐本体が悪さするケースはほとんどない。大抵悪さするのは、

その眷属)。まぁ、術者なんて歩く不届き者だから、今更そんなの知るか!とぶちのめすのも一興では

ある。大抵はそのパターンでやってるんだろうしwでも、八百万の面子を丸つぶれにする所業ではあるね。

 

ではどうすれば対処できるのか?方法論としては三つほどある。

 

第一に、実質正一位ってことは、建前だろうと何だろうと、本当の正一位ではないわけで、そのグレーゾーン

を突くやり方。君側の奸を討つってやつだ。「畏れかしこくも、正一位○○稲荷大明神の眷属を名乗りながら

悪業の数々。まったくもって赦し難し。天に代わって成敗してくれる!」ってやつだ。まぁ、口上は結構

カコイイけど、実はかなり危険。平民には、天に代わって成敗する権利などないからねぇ。

 

悪代官であっても、代官は代官。討つ時は黙認状態であっても、しっかりその罪は問われる。

しかし、正義を貫いて首を落とされるのも、もののふの道ではある。自己陶酔したい人ならドゾーw

 

第二に、担当の土地神から、逆賊討伐の宣旨をいただく、というやり方。低級動物霊が悪行をしたのなら、

天下泰平を乱す輩であり、それを討つ宣旨さえあれば、位階など、べつに恐くもなんともない。

西洋魔術師は、その立ち位置のやばさから、普段からその土地神に懇意にしとく奴が多いから、この方法は

結構使える。

 

しかし、依頼で仕事を請けたときは、注意が必要。

 

初めての土地で、その土地神に挨拶に行った時、へたすると、その神社の中身もパチモノに入れ替わって

いる危険性がある。低級動物霊は、土地神に化けるのなど、楽勝でできるし、その土地の人達が現世利益

ばかり追い求める、欲の皮がつっぱりまくってる連中だったり、狐がその土地を思いっきり穢してたりすると、

土地神は辟易して逃げ出してたりする。

 

そうなると、宣旨を出す奴と、討たれることになってる奴とは、つるんでるわけで、術者はアッサリ罠に落ちる。

 

ターゲットはとっくに偽者に代わってる。そしてその偽者を知らずに討つと、「やれ畏れ多くも」となるわけだ。

宣旨などはこうなると只の空手形。そんなの知らんで一蹴され終了w

 

というわけで、土地神に挨拶に行く時は、それが本物であるかどうか、よく見極めて行動する事が大切。

これは、ホームベースの土地神にもいえること。果たして……?

  

  第三に、だったら、ということで、低級動物霊以上の官位官職をもち、それでもって敵を討つ、というやり方。

  相手より位階が高ければ、何者も恐れる必要はない道理だが、一朝一夕にできるようになるわけもなく、

  そもそも低い位階ですら得るのは困難で、しかも地道に位階を上げていくしかない。それに伴う責任もある。

  もちろん、その位階は神々が正式に認めたものでないと意味ないので、勝手に魔術結社とかを作って自称

  するという手は無効。でも、どれだけ困難であろうと、不可能ではないのも確かだ。実例あるわけだし♪

 

         というわけで、たがが低級動物霊は、位階というファクターを考慮すると、とんでもな相手であることが

         お分かりになると思う。術やりはじめの頃、うかつに手を出すと、かなりやば気。たとえ禍神であろうと、

         端くれであろうと、神は神だ。良くも悪くも、実績があるから、その位階にいる。それを忘れてはならない。

 

       T-6-b-B 低級動物霊の実害と案件の確率 

         

         と、散々不安にさせるような事書いておいて、いきなりそれをひっくり返すような話をする。

         実際問題として、低級動物霊および、それに憑かれた人間により、実害が発生する確率は、実は

         限りなく低いし、実害があったとしても、別段大したことがないのが、ほとんどだったりする。

 

         普通、人間一人につき、守護霊、指導霊をはじめ、その眷属その他で、個人差はあるが、約3千体前後は

         憑いており、「その他」のカテゴリーの中には、低級動物霊だっていたり、いなかったりする。こういう連中は、

         人間が移動するたび、または時間と共に、勝手に入ったり抜けたりする。まぁ、人間を電車に例えれば、大抵始発駅から終着駅まで乗ってるのが守護霊、途中駅で乗ったり降りたりするのが、そういう連中、と考えればしっくりすると思う。

 

         こういう途中下車組は、守護霊とかが見張ってるんで、悪さする余裕はないし、そもそも悪さする気もないの

         がほとんどだから、別段、気にする必要もない。

 

         実害が起こったとして、それは精々道を間違える(人生の道ではない。本当に道順を間違えるってだけ)程度

         が普通だし、それにしたって、憑いてる奴が原因なのか、単に思い違いをしていただけなのか。

 

         まぁ、待ち合わせに遅れた坊さんの言い訳に使われる程度のもんだ。

 

         寺で厄介になってた時、低級動物霊関連の依頼で、1000件のうち、本当に低級動物霊のしわざと断定され

         た重大案件は、二、三件にすぎない。それらは本当に特殊な例だから、まぁ、普通に生きていて、そういう羽目に陥るのは、日常生活で出かけている時、頭上から飛行機が落ちてきて、ぶつかって死亡する確率並みに低いと思う。もっと低いかもせんね。

         

では、それほどまでに、実際大したことない低級動物霊事件が、なぜ古来より恐れられてきたのだろうか?

 

何のことはない。

心霊はもちろん関係なく、また精神病とも関係はない。これは社会的現象の比喩でしかなかったりする。

これまでと違った行動。例えば、義理堅いと定評のやつが、いきなり不義理しまくるとか、清廉さで知られた奴が、いきなり肉欲に走るとかしたと評された時、その多くは単に勘違いだったとか、そいつの別の面が初めて

知られただけだったりするんだが、そいつを「狐憑き」ということにして、排斥したというだけのことだ。

 

いわば、「村八分」の大義名分として利用され、「狐祓い」という「儀式」により、そいつは再びその社会に復帰

した。もちろん、本当に狐などに化かされたと信じていたわけではない。昔の人だって馬鹿じゃない。

昔の人が、迷信を固く信じていた、というのは、現代人の驕り、もしくは創作による誤解でしかない。

 

時代劇や時代小説とかで、いわゆる狐憑きを石もて追うシーンは、よく知られているが、あれは「追難」の儀式を様式化した創作であり、実際にリンチ殺人が行われていたという記録はない。

 

そうやって当人の反省を促し(元々が勘違いだったりするんだから、反省も糞もないが)、儀式をもって、その社会の構成員が納得したという形にして、社会復帰させたわけだ。

実は、儀式の後、「なおらい(神様を交えた宴会)」を催し、そこで仲直りする、という要素が大きい。

場合によっては、酒を飲む口実として、狐憑き事件を演出しただけだったりしたかもね。

 

村八分といえば、中世ヨーロッパでは、異端とされた人間が町から森に追われ、その人間は狼男になる、と

されていたのと、状況はこっちの方が厳しいけど、似てるといえば、似てる。

 

狼男を倒すには、銀の弾丸、ってのはよく知られているが、あれは、聖別化された銀のマリア像を溶かして

作った弾丸でなければならない、という事は、あんま知られてないと思う。

 

つまり、キリスト教の力でもって、異端を処刑するわけだね。すると、狼男もまた、ほとんどすべての狐憑き

事件と同様、心霊はまったく関係ないことになる。つか、人間が狼に、異端認定くらったからといって、簡単に

メタモルフォーゼするわきゃねぇだろうが!でも、こっちは狐憑き案件と違って、本当に信じられていた可能性は否定できないのが恐い。狼男にするわけにはいかんから、リアル処刑、ってのはあったわけだし。

 

で、狼といえば、やっぱり赤頭巾ちゃんのお話。

 

森に一人で住んでいるおばあちゃん。これを西洋版姥捨て山に例える民俗学者はいるけど、西洋に姥捨て山があったという証拠はないから、やはり普通に追放された異端と捉えた方が自然だろう。

 

童話では、おばあちゃんは狼に食われちゃうわけだが、あれはおばあちゃんが狼男に変身した、と考えることができる。おばあちゃんなのに、男とはこれ如何に?だが、まぁ、ワーウルフってことで一つ。

 

では、主人公の赤頭巾ちゃんはどうなのか?グリムでは、狼に食われてちゃんちゃん。だから花なんか摘んでないで、お母さんの言うことをちゃんときかないと、こうなるんだよ、で終了。

でも、そもそも、なんで一人でおばあちゃんの所に出かける羽目になったのか?

 

何のことはない。赤頭巾ちゃんもまた、異端として追放されただけなのではないだろうか?

母親のいう事をきかない、ってのは、教会の言うことをきかない事の暗喩。

狼に食われるのは、狼男(まぁ、以下略)になってしまう事の暗喩。

 

そうやって、子供のうちから、教会の権威を傷つける者はどうなるか、恐怖で洗脳するわけだ。

流石は宗教。やり方があざとい。こわいこわい。

 

 

       T-6-c 餓鬼・魑魅魍魎

 

         さて、地縛霊の大半は霊と関係なく、低級動物霊も、巷でいわれているほどの脅威ではなく、

         いわゆる狐憑きも霊とはほとんどのケースで関係ない、という結論は出た。

 

では、こいつらはどうだろうか?

餓鬼とは、文字通り、飢えている鬼。いわゆる六道のひとつ、餓鬼界の住人。

下半身がぷっくらと膨らんでいるが、首が細すぎて、食うことができず、常に飢えている。

口から炎を吐くことを除けば、まるで難民キャンプの栄養失調の子供を連想させるね。

 

まぁ、常識的に考えれば、こんな連中なんて、いるわけがない。

平安期の社会不安から、飢えた民が続出したんで、連想されたのだろうか?

古代インドも、小国群立状態で、極めて不安定だったから、仏教の概念では、そういう世界が

想像されても、何ら不思議ではない。あまりに飢えているため、もはや栄養を取ることもできない。

点滴なんかない時代だからして、はい。

 

そして、生きるか死ぬかの段階で、悟るための修行なんかできないわけだ。

かといって、悪い事をしてるわけでもない。だから地獄へは行かない。

 

とまぁ、宗教的概念からいえば、いるが、実際にはいない、という理屈は通る。

でも、まぁ、なんだ。土地浄化の仕事なんかやってると、いるんだな、これが。

 

上記の地縛霊供養なんかで、うかつにお経なんざ唱えると、ターゲットの自称他称は兎も角、

その地縛霊とやらは、聞く耳持ってないのに、餓鬼だの、その他得体の知れない連中が

わらわらと寄ってくる、という事は、よくある話。

 

まぁ、そういう存在に、勝手に餓鬼の姿を視覚化しちゃうだけの話なんで、連中の実際の姿は

知らない。だから、全然違う存在なのかもせん。でも、他に呼びようがないんで、餓鬼、という事に

しておく事にする。魑魅魍魎も同様。姿の視覚化に失敗しただけ、という事は充分にありえる。

 

こいつらの特徴は、「助けて」モード全開、ということ。けど、お経を聞いたところで、集まってくる

だけで、けっして成仏するわけでもない。な〜んか知らんが、助けてくれそうだ、というだけの

動機っぽい。

 

そして、こいつらが集まっている所は、霊的環境は著しく悪化するのが普通。

助けてくれそうだ、という場所に集まるってことは、例えば交通事故の現場に、ジュースだの花だのが

供えられていると、当然そこにも集まる。死者を供養するのはいいが、置きっぱなしは、したがって

よくない。事故の名所になりかねないからね。

 

でだ。こいつらの正体に関しては、自信は今ひとつないが、一応仮説めいたものはある。

例によって、正体について関心なんか、これっぽっちもないゆえ、適当なものだから、信用しないように。

 

あれは、人間の、あれが欲しい、何々したい、という欲望が集まってできた存在だ、というのがそれ。

感情だって、脳みそで考えているんだから、電気であり、すなわち磁気だ。その磁気が地球の磁気に

記憶され、感情のみが記録され、残っている。感情ってのは強烈だから、記憶される可能性はあるだろう。

可能性ってだけだけどね。

 

しかし、地縛霊と違って、残留感情体ってだけだから、具体的な記憶とは連動していない。ゆえに、じゃあ、

何してほしいわけ?と聞いたところで無駄だ。本人(?)だって憶えていないものを、用立てることは不可能。

 

つまり、これも、霊的存在ではあるが、霊とまったく関係ない可能性は、確かにある、ということになる。

 

で、こいつらによる実害は、霊的環境が悪化すること、とはすでに書いたが、これにしたって、変な磁場が

集まって、それが人間の脳細胞の活動を侵害し、結果的に事故が増える、とすれば、やはり理屈は通る。

霊的環境、とさらりと書いておいて、霊と関係なかったりすると、結構わらえるものがある。

 

そして対処法も、至極簡単。その、助かりそうだ、という環境でなくしてしまえばいい。所詮、一固体では弱い

磁場にしか過ぎないのだから、散らしてしまえば、他の磁場に消されてしまう。墓場はその社会性質上、

致し方ないが、路上での供養は、後片付けしろってことだね。

 

仮説は兎も角として、土地浄化の方法は、たとえば結界作って、密教だったら爆裂でどかん。俺のやり方だと、やはり結界つくるまでは同じで、その中に召喚した化け物を放り込んで、「さぁ、食え!」だから、相手が本当に霊だろうと、霊にあらざる単なる磁場だろうと、結果的には同じこと。その無数にいる自称他称は兎も角として、霊的存在をみんな成仏させてやろう、と美しい努力をしてる善良な人はいるんだろうけど、

残念ながら俺は会ったことはない。

 

        T-6-d 魔神

    

 さて、地縛霊から始まって、低級動物霊、餓鬼と、それぞれ、ほとんど霊とは関係ないじゃん、という、

とんでもな展開になってきた。しかも、その僅かな例外とされる事象にしたって、霊だと断言していない。

まぁ、寺での認定はあったが、寺って場所は、霊の存在を否定してしまったら、立つ瀬も浮かぶ瀬もない

場所ではあるし、それにしたって、俺自身が認めたとは、書いてないわけだ。

 

では、いよいよ、召喚魔術において、最も重要なファクターである、魔神連中はどうだろうか?

 

流石に魔神は、霊的存在、思いっきり心霊。それも高位の霊体だ

 

とでも言うと思ったら、大間違い。ましてや、どっかの世界の住人で、力の干渉などという与太話は論外。

そんな説は、説でしかない。

 

はっきり書こう。霊として実在しようがしまいが、そんな事は、どうでも宜しい。絶対否定もしないが、絶対

肯定もしない。つか、どっちかといえば、否定的、というのが現実。

 

さぁ、ここでハイパー矛盾がでてきたぞ。なにしろ、無意識の中の意識としての魔神を否定し、どっかの世界

にいるとされる魔神を召喚し、そいつらを指揮するのが俺の流派のはずで、そいつらが霊として存在してるって事や、または異世界からの力の干渉とやらを信じてないで、そんな事が可能なのか?

 

魔術的思考とかいう、ちんけな超能力で、魔神と意識的にシンクロし、そいつらの声を聞くんじゃないのか?

 

その疑問は、当然だろう。だが、最初に書いたはずだ。魔術は宗教ではない。魔神の実在を信じようが信じまいが、そんな事は関係ない。まず信じろ、では、それはカルト宗教だ。

 

そもそも、そんなどっかの亜空間から、わざわざ俺達の人界に、怪しい奴が何らかの手段でやってきてよ、「我々は南蛮地獄からやってきた高次元生命体である。君の手助けをしよう」とか、訳知り顔で言われたとして、そんな「たわごと」を鵜呑みにするような、郷秀樹並の脳みそお花畑が、術なんか、本当に使えるとでも思うか?魔神の実在を信じて疑わないような、思考の幅を限定させた奴が、魔術的思考とやらを会得

できるとでも思ったら、とんだ甘ちゃんだ。つか、馬鹿だ。魔術的思考は、自由に働かせなければならない類のものであり、思考限定は、その真逆の態度だからだ。

 

俺は、寺で、散々神秘体験とやらをした。仏像の表情が変わるのだって、リアルに見た。だが、それとこれとは別問題。そう。まったく別問題なんだ。それに、そうした神秘体験にしたって、まだ未解明であるだけの、ただのどうって事のない自然現象の一つにすぎないかもしれない。俺がそれを知らないってだけで、未解明ですらないかもしれないし。

 

もし仮に、霊体として魔神がいたとして、何でそいつらが俺達を救わなきゃならないんだ?人界とその南蛮地獄とやらが、何らかの形でシンクロしていて、こっちがやばいと、あっちもやばいというなら、まだ分かるが、それなら、別段、俺達が命令し、指揮する必要なんかなく、奴らは勝手に地球を救うだろうよ。

 

で、全然関係ないなら、奴らは俺達を救う義理もへったくれもないことになる。

 

確かに、偉い奴は、偉い事をするから偉いってのはある。だが、人間を救う事って、そんなに「偉い」事なのだろうか?この地球を一番汚しているのが人間そのものだというのに?

 

では、人間を救うのも、命令を聞き、指揮に入るのは、奴らの洒落なのか?こっちは命がけだっていうのに、あっちは洒落?それこそ洒落にもならん三文芝居だ。

 

また、魔術的思考により、そのふざけた連中と接触したとして、そいつらが本物だと、なぜ分かる?

自己申告なんざ、当てになるか。それに、そうした自称魔神は、多くはキリスト教以前からいた、古い神だったりするわけだが、そんなお偉いさんが、これだけ物欲まみれの世の中になるまで、人界を放っておいて、

今更助けるだと?ふざけるな、と言って、蹴りでも一発ならずくれてやって、退場というのが当然ではないか。

 

それにだ、そうした神々を真面目に信じた連中は、どうなった?

 

中世ヨーロッパでは、悪魔主義者として、生きながらにして火あぶりがデフォだぜ?

 

その大いなる悲痛な叫びを、奴らは無視したんだ。霊体として実在して、しかも偉大なる力がもしあるのなら、そいつらを救ってからでかい顔をしろ。その火を消してみせろよ。つか、しなかったんだから、そいつらは

悪魔主義者として死んでいったわけだ。これは紛れもなく、事実であり、動かしようのない歴史だ。

 

信じ方が間違っていたかもしれない。そいつらも、神々を悪魔として信じていたのかもせん。でも、それはそれで、神々とは、なんと心の狭い連中なのだろうか、という論が成り立つだけだ。偉大な力があるのなら、

そいつらが邪道に走らないよう、導いてみせたらよかっただけだろうに。

 

俺は、この世のすべてを見てきたわけではない。だから、そうした存在が、いない!と断言することはしない。まぁ、いてもいいんじゃね、おもしろそうだし、程度のもんだ。しかし、いたらいたで、そいつらは信用できない、ということになる。俺は歴史ヲタだから、連中の暗黒の歴史だって知っている。

 

『イーリアス』でも読めば、連中がいかにとんでもな動機で、トロイア帝国を滅ぼしたか、よ〜っく分かる。

最初から、人口調整のために、パリスをはめて、罪を作らせた。最初から滅ぼす気満々だ。

トロイアの勇者ヘクトールの息子なんざ、鞠のように塔の上から投げ捨てられ、死んだ。そいつが一体、

何をしたというのだ?まだ赤ん坊だぜ?そして、ヘクトールをはじめ、トロイアの王族連中が、それまで

どれだけ神々に貢物をした?国家予算で祀ってたんだぜ?一介の魔術師が、ポケットマネーで祀っているのとは、わけが違う額だ。それなのに、奴らはあっさりと裏切ってみせたわけだ。

 

そんな裏切り者達を指揮するくらいなら、いっそ霊的存在としての実在を否定してしまった方が、どれだけ気が楽か、はかりしれないだろうよ。第一、リアルに見たことのない相手なんだ。存在否定派の意見は、至極まともであり、説得力もある。見たことないのは誰しも一緒。霊視?そんなの知ったことじゃない。ただの錯覚や思い込みと違うと、どうして判別できる?しかも、霊視は絶対ではない。よく間違え、実害発生は枚挙にいとまがない。

 

だが、召喚魔術師は、仕事として、術を行い、召喚し、命じる。そして、その作戦が成功行となった時、はじめてその魔神を信用する。暫定的に。しかも、そいつが本物であるか、偽者であるか、実在するか、実在しないかは、最初に書いたように、それはどうでもいい事。成功行になりさえすれば、それでいい。

 

信用とは別問題。ましてや信仰?宗教じゃねぇんだって。信仰なんかするか。信仰なんかで思考の幅を限定しちまったら、そいつは術者として、そして多くは人間として終わる。ただの悪魔主義者の変態カルトのできあがりってわけだ。真性のマゾでもない限り、お奨めしない道筆頭。

 

俺?そうだな。戦上手の、清楚で美人の処女神でも実体化させて、そいつといきなり相思相愛バリバリの、

恋愛関係にでもなって、速攻で結婚し(その時点で結婚してたら大問題w)、ガキ作って、そのガキが生まれた時、

 

看護士「男の子です!」

俺「でかした!」

ガキ「で、あるか」

 

という流れにでもなったら、多少は信用してやることにしている。それまではしない。実在性すら信じない。

信じるふりをする事はあったとしても、実際には信じない。理由は上記の通りだ。

 

 

 

もしも、魔神の実在を信じている人がいるのなら、警告する。

 

信じるな。

 

信じてない相手なんか助けない、ってなけつの穴の小さい便秘やろうの屑は、そもそも神ではないから、遠慮はいらない。そいつが仕事し、上手くいっていたら、その分だけ評価すればいい。他は信用するな。別に評価すらしなくても上等。まだ作戦は終わっていないのだから、途中で楽させる必要はない。それに、最初だけ助けて、足元狙っているのかもしれないし。油断はするな。

 

何を言われようが、それを信じてはならない。

「はいはいワロスワロス」と受け流せ。

話だけなら、いくらでも凄い話はできるものだ。捏造かもせんし。

 

俺は術については嘘はいわない主義だが、それにしたって、本当の事を全部言うとは限らない。

言ってない要素を加味すると、まるで逆の意味に受け取られる内容だったりする可能性はあるわけだ。

同じことを、奴らがしないとは限らない。つか、するだろう。より大規模に。

そして、奴らが嘘を言わない保障は、どこにもない。三角の中だと本当の事をいう?どこのファンタジーだ?

 

魔神は人間より凄いんだろう?だったら、人間が作った三角などで、どうして束縛できるんだ?

甘い考えは命取りだ。一瞬の気の緩みが事故につながるのは、川口浩探検隊だけの話ではない。

 

凄え〜!と思わず感動する事態になっても、心のどこかで、冷静な部分を維持しろ。

感動させるのは、孔明の罠の可能性がある以上、繰り返すが、油断はするな。

 

神話で、どれほど笑える、いい奴であろうと、だ。神話は所詮は神話だ。

 

いつ作戦が終わるのか。仕事が限定的なものなら、簡単だ。物探しとか、土地浄化とか。結果を見て判断すれば宜しい。しかしだからといって、信じるには値しない。魔術的偶然ってのを生み出すのが魔術だが、

要するに、それは偶然なんだから。もしかしたら、本当に偶然で、魔神は何もやっていないのかもせんよ。

逆に、仕事して、本当に魔術的偶然ってやつを作り出したのかもせんが。

しかし、それを簡単に評価してはならない。騙しの可能性は、果てしなくでかい。

 

ひたすら疑う。これが大事。前述の郷秀樹つながりで、上等な態度がMAT(モンスター・アタック・チーム)の

連中。こいつらの態度は、非常にわらえるものがあり、参考になる。

隊員A「怪獣?」

隊員B「そんなの、いるのかねぇ」

お前ら、毎週、誰と戦っているんだ?しかも部隊の名前と矛盾してね〜か?それで予算取ってるんか?

これくらいで、丁度いい。

 

そして、どこまでも魔神が「何故か」裏切ったりせず、相応に成功確率の成果をあげ続けたとしよう。その時は、死ぬ前に、曹操ごっこで「ふぅ〜、長い戦いであった」とでもつぶやいて、精々連中に感謝しながら死ねばいい。それまでは、一切感謝など不要。実在性を信じることも不要。

 

しかし、総論で「いる」と断言しながら、各論では「いようがいまいが、どうでもいい」「実在性を信じるな」

とくるんだから、グダグダだと感じる向きはあるかもしれない。だったら最初に書けよ、とかね。

 

つまり、概念としての、ないしはなんらかの存在として魔神はいる。ただし、召喚魔術を実践するにあたって、心霊もしくは霊的存在としての魔神の実在を信じる必要はない。むしろ信じることはよくない、という事だ。

 

術は、結果の世界だ。概念などは、どうでもいいと思っている。別に俺は悪魔主義者でも、悪魔の研究者でもない。

 

T-6-d-@ 眷族と分霊

 

さて、いきなり存在するかもどうでもいい扱いされた魔神。当然、その眷族だの、魔神の分霊だのにしても、

実在性は限りなくどうでもいい扱いにはなる。でも、どうでもいい、という事は、実は実在を否定している訳

ではない道理なのだし、術式はあくまでも「実在することになっている」というスタンスなのだから、これらに

ついても、きちんと考えておく必要はあるだろう。

 

まず、眷族について考える。

ゲーティアを読むと、これこれの魔神が、○○軍団を率いる、とか書いてある。術で使う眷族は、一般的には

こいつらを指すことが多い。また、魔神の近親限定で捉え、それらを捕らえ、または呪うことにより、本尊を

脅迫し、命令を強要しようとする流派もある。真鍮でできた封印の壷とかを使うわけだ。

 

本体を封印してしまうと、仕事させられない。封印しなければ、言う事をきかせることができない、という

矛盾を、「眷族封印すればいーじゃん」という事で解決するわけだ。有体に言って、人質(人じゃないけど)。

正直、汚い手ではあるが、繰り返すが、魔術士に道義を説いても無駄。連中だって命懸け。奇麗事では

どうにもできん事もある、で終了。

 

魔神の多くは大家族主義なので、この手は結構有効なのかもしれない。しかし、大家族主義の相手から、

人質とるような相手に心服するわけもなく、一旦救出すれば、盛大な復讐タイムが待っているだけだろう。

 

まぁ、俺のやり方とは相反する手段ではある。単にそれだとノリが悪くなるから、というのが大きいのだが。

それに、そんな小汚い壷如きで封印できるような眷族の親玉では、さして使えないだろう、というのもある。

相手は時空を超越している、という前提から、そもそも封印できるかどうか、怪しいものだ。

 

つまり、主に封印の壷を使っている流派は、実は魔神の実在性をはなから否定している場合が多いんだ。

異端の技を使うことへの、己自身の恐怖をそれによって封印すると、心から思いこみ、暗示の力を引き出す。

暗示こそ、そうした流派においては術の成否を左右するわけだから、方法論として間違ってはいない。

 

話を本筋に戻す。

 

○○軍団を支配する。二桁前半もいれば、200以上もの軍団を支配する奴まで様々だが、実は1軍団の

構成人数は、軍団により違うので、何をもって大所帯とするかは、軍団数ではわからない。

何しろ、作戦によって、編成が異なるのも当たり前の世界なので、例えば小隊編成にしても、5人の時も

あれば、12人の時もある。米軍のように、一旅団が8000人、と決まっているわけではない。

ちなみに、分隊の最小編成時の人数は、たったの二人。小隊は三人。中隊は四人。中隊でも最大の場合

は、億単位になることもある。指揮官が、「我が中隊は」といえば、それまでの世界。

実にいいかげんな話だとは思うが、敵に霊視能力者がいる場合などには特に有効な欺瞞作戦ではある。

 

眷族は、主に文字通り本尊の血縁で構成されるが、別に血縁関係はなくとも、深い主従関係や、

義理の関係を結んだ場合、眷族として扱う場合がある。これにはルールがあるのかもしれないし、

その場の空気で、そういう要素を入れた方が効率がよい場合もある、というだけのことなのかもしれない。

 

次に分霊について考える。

 

分霊とは、文字通り、分けた魂の欠片、と捉えられる事が多いが、これは、南蛮地獄にいる本体は、そこを

離れることができず、こっちの世界に対する干渉は、分霊が行っているにすぎない、という概念や、

魔神の魂がこめられたシジルの類を量産する場合などの基本概念として活用されている。

 

シジルは、この場合だと、神社のお守りのようなものになるわけで、日本人には理解しやすいだろう。

実はまったくの勘違いであろうと、世の中は洒落と気合と勘違いでできているんだから、別に害はない。

 

しかし、魔神が時空を超越した存在である、とするならば、話はまるで違ってくる。

 

例とするにふさわしい魔神は、ホルスだ。

古代エジプトの伝説によると、ホルスは世界のどこにでも、同時に、あらゆる年代で現れることができる

ことになっている。つまり、赤ん坊ホルスと、少年ホルスと、若者ホルスと、大ホルスがジャン卓を囲むこと

ができ、全員大ホルスで100人縄跳びだってできるというわけだ。

では、これらホルスは、全員分霊なのか?伝説のままだとすると、答えはNOで、全員本体という事になる。

 

時空連続体から外れながらも、きわめてこっちの世界に近い亜空間で活動する、と仮定すれば、充分に

可能なことでしかなく、別段ホルスだけの特殊能力というわけではあるまい。なぜなら、ホルスは太陽神

であって、分身の神などという怪しい位階ではないからだ。まぁ、できる、という事と、やる、という事とは

まるで違うから、魔神なら誰でもやるかどうかは、定かではないが。

 

しかしながら、例えば世界同時多発的に、召喚儀式をやるとして、誰々さんは、先客がいるので、分霊で

どうぞ、とならない理屈はこれで説明できると思う。前提が仮定である以上、全てが間違っている可能性は

もちろん残るが。しかしそれでも構わない。術さえ成功行になればよいのだから。

 

        T-6-e 人工霊的生命体

 

          さぁ、頼みの綱(?)の魔神さえ、霊的存在としての立ち位置が怪しくなってきた。まぁ、繰り返しになるが、

実際には、そんな事はどうでもいい事ではあるが。では、人工霊的生命体はどうだろうか?

 

人工精霊とか、人工妖精とか、或いはタルパとか色々言われている彼ら(彼女ら)。

宗派、教義によって、用語は様々だが、概要としては、何らかの力でエーテル体の像をつくり、そこに、

これまた何らかの力を注ぎ込んで作ることにより、発生する。別の概念を持ってる人もいるだろうが、

大抵はこのパターンに当てはまると思う。

 

といっても、作り方そのものは、人によりそれぞれ。強烈な自己暗示により、つまり思い込みの力を

利用し、儀式に活用する方法は確かに有効だが、言ってしまえば、単なる思い込みや、自我肥大に

よる別件の弊害が大きいため、その方法を用いる時は、きちんとした師につかなければ、能力向上は

見込めない。できれば、その師は、神秘主義に対し、どこまでも懐疑的か、完全否定するタイプが

いい。師まで舞い上がってしまっては、弊害どころか、より悪い状況に陥るからね。結果、詐欺師が

二人できるだけで、何ら霊的作用はなく、またそれ以後作用させることはできなくなる。

 

では、まず、魔術師は、何のために人工霊的生命体なんぞをつくるのか?生命体を作るのを、神の

仕事とみなし、己を神になぞらえたいのだろうか?まぁ、そんな悪趣味な奴はあんまりいないとは

信じたいが、今のご時世、どんな奴が馬鹿やるとも限らないので、可能性としてはある。

 

いや、生命体を作るのが馬鹿なのではなく、神なんぞになぞらえるのが馬鹿だというだけの話だが。

魔術は宗教ではないし、宗教家は神になりかわろうとしないものだから、矛盾を内包した概念になる。

 

大半の魔術師は、仕事で、それも大抵攻撃の目的で(少数は防御の目的で)、人工霊的生命体を作成する。定義として、霊的生命体なんだから、こいつらは、霊的存在として、いる、ことになる。

 

やっと純然たる霊的存在が登場してくれた。まぁ、定義上の話だけどね。

 

自然にいるとされる妖精だの自然霊だのも、やれプラズマだの何だのという可能性は否定できないんだから、これは実にめでたい事だ。まぁ、いわゆる火の玉がプラズマだと決め付けるのもどうかとは思うけどね。

実際に目撃すれば分かるが、あれはプラズマでも、生物に含まれた燐が雨とかに反応して燃えてるわけでもなさそうだ(火葬の現代でも、墓場に火の玉がでるんで、燐のわけがない)。でも、俺としても結論がでてないんで、火の玉の正体については「わからない」で終了。

 

話が横道にそれた。人工霊的生命体に戻ろう。

 

人工霊的生命体で、攻撃ないし防御のために作り出された成功例は多い。

 

彼らはそのために特化された、極めて限定的な生命体であり、その意味では不幸な存在だ。まぁ、そいつらが不幸だろうが何だろうが、魔術師にとっては関係ない。その存在意義=仕事なのだから、変に気を遣う方が失礼というものだし。たとえその攻撃で、その生命体が絶対に消滅する類のものにせよ、だ。

 

だが、たとえ被創造物であろうが、生命は生命。魔術師の奴隷でもなければ、道具でもない。作った奴に

従うかどうかは、作った奴の器量次第であるには違いない。まぁ、成功行に持っていった魔術師は、相応の器量は持っているから、今のところ、作った霊的生命体の叛乱にあったやつはいないと思う。

 

何をもって「器量」の定義とするか。この場合は、人望。つまり、人間の代用品として使う必要はない程度の

人望は、最低限あるということ。ぶっちゃけて言えば、人工霊的生命体と恋愛するような寂しい魔術師とは会ったことはないが、そういう奴は叛乱に遭う危険が、可能性としてはあるね。つか、実際作ってみれば、よくわかると思うが、人工霊的生命体は、決して恋人にしたくなるような奴らではない。

 

まぁ、人間の恋人だって友人だっていくらでも作れるが、あえて人工霊的生命体と恋愛したい、一方的な友情をもちたい、というフェチ系の人だったなら、問題ないのかもせんけど。でも、この場合は、恋愛や友人となることを仕事と定義し、生命体を作るわけだから、やはりどことなく寂しい話で、本当に恋愛や友情と呼べるかどうか疑問だが。まぁ、個人の趣向だから、それこそどうでもいい話。土台が仮定の話だし。

 

俺が人工霊的生命体を作る時のやり方は、実践篇で書く予定(←この部分は、書いたら校正する)。

 

 

        T-7 魔術的思考

          

 霊的存在として、ひたすら疑問視されてきた魔神。まぁ、誰かが完全実体化でも成功すれば、疑うもへったくれもなくなるんで、それまでは判断を保留といった程度だけど、悪魔崇拝者からみれば、とんでもな意見だとは思う。しかし、ひたすら繰り返すが、魔術は宗教ではない。つまり信心は関係なく、重要なのは思考することだ。

 

魔術的思考は、俺の造語ではあるが、ありがちな名前なので、他流でも使われているかもしれない。つか、よく使われているのだと思う。ゆえに、この論における定義をすべきだろう。

 

魔術的思考とは、あらゆる方向から、同時に対象となる自称について考察する事を示す。

 

この「あらゆる」というのが曲者で、なかなか概念として掴みづらい。なにしろ、対象を0.1度ずらして考えるだけで違って見えてくる。過去や未来といった時間の概念を加えると、尚更だ。おまけに、人間は、本来の性質からして、見たいものを見、信じたいものを信じる生き物である。

 

さらに障害となるのは、言語。人間は、普通、母国語で思考しているため、その語彙に思考を制限されるという欠点をもっている。言語論をやると詳しくわかるが、たとえば、フランス語においては、「肩こり」に相当する言葉がないため、フランス人は、肩がこらない。来日したフランス人は、日本語の「肩こり」を知ると、肩のこりを自覚するようになる。つまり、それまで肩は本当はこっていても、それを感じることができないわけだ。そして帰国すると、按摩がいないため、苦労するらしい。しかし、逆に、味や香りに関しては、フランス語に匹敵する言語はない。だからソムリエとかは、フランス語で表現するわけだ。もちろん、フランス語でさえ表現しきれない味の微妙な違いはあるはずで、それがまた魔術的思考の限界を証明することにもなろう。

 

しかし、別に魔術的思考を極める必要は、実は特にない。まぁ、できるだけ極めるに越したことはないのだろうが、それはあくまでも、魔神の思考域に近づけるためでしかなく、本来の目的である、「術を成功行に導く」からすれば、「できるかぎり正確に命令を伝える」ことさえできれば、充分だ。

 

もちろん、術の目的が、魔神そのものに関わる内容、たとえば完全実体化などでは、可能な限り、とことん極める必要はあるだろう。

なぜなら、魔神の思考域に近づくということは、すなわち魔神とのシンクロ率が高まることを意味しており、

それだけ成功確率が上がるからだ。ただちに完全実体化に成功しなくとも、何が足りないのかも、魔術的思考が教えてくれる。

 

        T-7-a 真実などない?

 

さて、あらゆる事象を、あらゆる角度から見たと仮定した時、すぐにわかるのが、世の中には真実も真理もありはしない、という事だ。世の中でいうそれらは、その人が属するコミュニティーにおいて、それが正しいと考えられている幻にすぎない。まさにニーチェの曰く、「真実とは、それが幻想であるということが忘れられるほど、普遍化した幻想である」の通りだ。一面正しくとも、別の方向から見れば、正しくもなんともない。

 

たとえば、圧制をし、民を弾圧しまくっている独裁者がいるとしよう。そいつは、世界中から憎まれ、悪の権化と看做されているかもしれない。だが、その独裁者自身にとってはそれが正義であり、しかも、その独裁者を倒した時、ばら色の世界が生まれるとは限らない。世界は、ファンタジーRPGのように単純ではないからねぇ。

 

具体例をあげよう。ナチスドイツを率いたヒトラーは、生存説もあるが、兎に角歴史上の表舞台から去ったには違いない。そして、戦後ドイツは、総ての戦争責任をヒトラー及びナチスに押し付けることで、自ら被害者という立ち位置を取り続けている。ハーケンクロイツは違法とされ、ホロコーストが実際にあったかどうか、論議する事すら違法である。しかし、それは言論の自由に対する、大いなる冒涜ではないのだろうか?たとえ民主主義であろうと、自由主義ではないわけだな。そして、言論の封殺は、それをしなければならない必然性=ホロコーストがなかった可能性が、少なくとも若干はある、ということを、政府自らが認めていることを意味しないだろうか?

 

ナチスすなわち国家社会主義は、労働運動をはじめ、多くの社会活動を、反共の名の下、弾圧した。それも一度は存在を認め、運動員を台頭させてから一気に潰すという、ある意味効率的なやり方で。密告を奨励し、当時のドイツ人は、人に会うと、別れ際に「お前も言ったんだからな」と念をおすのが風習になったと、記録にはある。ドイツ的キリスト教なるものを作り、宗教面でも支配体制を作ろうとした。それはその団体が後に暴走してしまい、かえって手を焼くことにもなるんだが。まぁ、いずれにせよ、自由な精神活動を束縛しようとしたことは確かだろう。しかし、自由を勝ち得た後、その束縛した対象に対して、自由ではなくなったのも確かだ。

 

そして、自由な精神こそ、もちろん魔術的思考の大前提ともなるのだが、逆に言えば、自由であればよい、というものでもない。そこを間違えてはならない。

 

あらゆる方向から、自由に見て、行動はあらゆる選択肢から最善のものを、最善のタイミングでやらなければ意味はないどころか、周囲にとって、災いでしかなくなる場合が、大半だからだ。自分が自由であるということは、相手も自由なわけであり、相手の自由を束縛するからには、相応の責任が伴うわけだ。権利と義務は表裏一体であり、切り離すことはできない。

 

そして、たとえ最善のことと思い、最善のタイミングでやったところで、その「最善」すら、一面でしかないわけだ。この宇宙は、無数の「最善」でできており、それは逆からみれば、最悪だったりする。つまり、所詮は「大いなる勘違い」でしかないわけだ。

 

宇宙は、洒落と気合、そして、大いなる勘違いでできている。その比率は、丁度酸素と二酸化炭素、そして窒素くらいなんじゃないかな?洒落が過ぎると、酸毒みたいになり、それこそ洒落じゃすまなくなる。気合も入りすぎると、熱くなりすぎる。まさしく人の温暖化だ(笑)。勘違いは、世の中の大半を構成しており、それが社会を安定させているといえる。

 

魔術で真理などを得ようとしても、それは単なる勘違いを得るだけのこと。別に魔術的思考とやらを大成したところで、どうという事はなく、人が神に進化するようなこともない。ただ、今まで気付かなかった、己の可能性を知ることはできるかもせん。あくまでも、かも、だけど。

         

 

 


      他にもいっぱい語ることはあるが、こればっかでもつまらんので飛ぶw

U魔術道具製作、調達

  
             U
-x フランベルジュダガー製作レシピ
 
      用意するもの 
 
      ディーペーカ社製フランベルジュダガー
      マジョーラカラー金〜赤
      プラサフ(プライマー入りサーフェイサー)
      ひたすら頑強なクリヤー
      マスキングテープ
      取り付けリング金具
      エアブラシ一式
      リューター一式
      皮革用に対応した、多用途接着剤
      魔神フラウロス
      
      製作準備

                                               
秋葉に行き、武器屋でフランベルジュダガーを買う。なんか、あんま売れない商品だそうで、
            次の製造ロットがあるか、微妙らしいので、在庫確認しといた方がいいと思う。
 
             フランベルジュダガーには、取り付け用金具がない。それだと吊り下げることが不可能になる
            んで、ハンズで真鍮の取り付けリング金具を購入。
            これは特にハンズである必要は、もちろんない。
 
            ホビーショップカサレで、マジョーラカラー、プラサフ、マスキングテープ、そしてひたすら
            頑強なクリヤー(名前忘れた)を購入。もちろん、他店で手に入るなら、どこででもいいけど、
            マジョーラ置いてる店は案外少ないから、
 
        店の宣伝(友人がやってる、というただそれだけの理由)で、

              わざとらしく店名を書いた。マジョーラはエアブラシ専用塗料だから、エアブラシ装備が必要。
              ちなみに俺はサイレントコンプレッサーと、コラーニという組み合わせ。
              でも、後述する理由から、ここは省略するのも手ではある。
 
            (クレオスがマジョーラの製造販売を停止しちゃったんで、マジョーラカラーの入手が難しく
            なってしまった。あの塗料は未使用での寿命が短いんで、できれば新品が望ましい。
           一端瓶の中で固まると、もはや死んだも同然。
            で、しつこく宣伝になるが、カサレがショップブランドで、マジョーラを発売する企画が
            実現しそうで、年内発売を画策している。確保するんだったら、問い合わせてみるのが
            いいけど、前述した理由で、実際使う直前に当たるのが吉)
  
      武器製作
      準備段階として、ダガーはもちろん、工具材料にいたるまで、すべて聖別化して、
            いよいよ作業開始!

            @
    鞘からダガーを抜き、刀身以外を丁寧にマスキングする。
              刀身にプラサフを吹く。
             プラサフが乾燥したら、マジョーラを吹く。
            マジョーラが乾燥したら(結構時間はかかる)、ひたすら頑強なクリヤーを吹き、
            そのまま乾燥させる。
             鞘の鯉口の金具から、釘を抜く。左右に一本ずつある。ディーペーカはかなりいーかげんな
            インドのメーカーだから、もしかしたらなくなってるかもせん。そしたら似たような釘を買っておく。
            鯉口の金具をズボっと引き抜く。接着具合は物によるから、運が多少関係するけど、基本的には、
            やはりい〜かげんな接着だから、問題ないだろう。
            金具の側面にリューターのドリル刃で、金具取り付けのための穴を左右に一つずつあける。
            取り付け用リング金具の受け(鞘の内側にくる)が、鞘の皮に干渉しないよう、加工する。
            受けといっても、実際にはこちらに螺子があるんで、まず螺子の帽子の左右をカットし、
            さらに細長くなった山の先端を削った。
            細かいリューター加工になるし、相手は金属。物理的作業においてはここが一番きつかった。
 
        怪我に注意!

            だから、いっそ金具なんか付けずに、鞘に皮ひもを巻いて、固定してしまう、という手もありだろう。
            それなら、D〜Iまでは省略できる。
            取り付け用リング金具を鯉口金具にしっかりと固定する。
            鯉口金具を鞘に接着する。釘も同様に接着。
            接着剤と、クリヤーが充分乾燥したのを確認。
            魔神フラウロスを召喚。共同で剣の再聖別化、工具材料の還俗を行う。その際、
            剣の加護をフラウロスがするよう特に命じる。
            刀身に自分で作った光をぶちこんで、作業終了!
 
      刀身にマジョーラを使ったのは、火を視覚化するのに楽だ、というだけの話なんで、
            塗装作業がめんどい、という人は、省略してしまってもかまわんと思う。
 
            完成写真は、犬の館参照。

 

    V神殿構築

      

魔術を行うシチュエーションは多岐にわたっているため、実体としての神殿を用いるかどうかは、

流派にもよるが、結局は術者個人の判断となるだろう。しかし、出張施術を中心に活動している

人も、内祭用の祭壇を併用しているのが普通なので、まぁ、大抵の場合は、祭壇を持っていると

考えてもよいとは思う。もっとも、統計データもへったくれもないんで、根拠は、あくまでも

俺の印象でしかないし、経験からきた先入観にしか過ぎない可能性もある。

 

この地球そのものが祭壇だ!と豪語する人だって、いるだろう。

祭壇?シラネ。と言い切る流派だってあるだろう。

 

もちろん、それはそれで構わない。魔術は宗教じゃないんだから。

 

でも、そう言い切ってしまうと、この項目は立つ瀬も浮かぶ瀬もなくなってしまう。

まぁ、魔術的環境を整えることによって、魔術的思考へ移行しやすくする、平たく言えば、

その方が楽、という人だっているわけで、考え方は人それぞれ。

 

そもそも、俺自体、別に魔神を信仰してるわけでは全然ないんで、じゃあ、俺の祭壇って何のため?

魔術的思考への移行が楽もへちまもない。儀式ないし命令の時は、勝手に意識がまず戦闘モードに

なるんで、そのまま魔術的思考を発動させるだけのことだから。

 

しかし、俺は祭壇も重要だと考えている。祭壇どころか、実際に魔術を行う時は、相応の神殿すら

視覚化する。できれば本物の神殿が欲しいところだが、そんなの造る金があったら、別の方面に

投資する方がマトモなのは確かなんで、俺がリアル神殿を造ることはないか、あったとしても、

当分はありえない話でもあるけど。

 

理由は実に単純。魔神が実在しようとしまいとお構いなく、魔神の力を使うという前提がある以上、

そいつを神として扱う必要があるからだ。ひたすら繰り返しになるが、これは、神として祀り、信仰

する事は意味しない。指揮官は部下を信頼はするだろうが、信仰する必要はまったくない理屈だ。

 

まぁ、かのウェリントン将軍のように、部下をまったく信頼も信用もしないどころか、毛嫌いして

いた指揮官、っつーのもいるわけだが、そういうタイプは部下からも愛されないし、多くの場合、

ひたすら憎まれるのがオチ。ウェリントンの部下達は、英国のため、もしくはナポレオンへの敵愾心

から必死こいて戦ったわけで、けっしてウェリントン個人のために戦ったわけではない。

 

逆に、同時期の指揮官として、こちらは海軍のネルソンがいる。この男は、部下を愛し、部下からも

愛されていたようだ。もっとも、有名な「英国は、各人がその義務を果たすことを期待する」という

信号旗には、結構ブチ切れた水兵もいたらしい。「そんな事念押しされるまでもなく、義務以上の事は

やってみせるわ!」という具合。これは信号兵が旗の枚数を節約するためだったとか、諸説あるけど、

いずれにせよ、部下達はネルソンが期待する以上に戦う気概を見せ、事実その通りにしたわけだ。

 

と、祭壇の話のはずが、無理矢理軍隊の話に持っていったわけだが、これにはもちろん理由がある。

 

俺の流派は、魔神を軍として編成し、指揮するわけだから。

ここまできたら、もうお分かりだろう。

 

神殿とは、総司令部であり、軍の本拠地である。そして、本拠地にはそれにふさわしい様式という

ものがある道理だ。

 

V-1 軍旗

 

 神殿は軍の本拠地だとして、あなたが実践魔術士ならば、あなたがその軍の総司令官だ。

 では、総司令部に絶対必要なものといったら何か?

 

 作戦司令部の建物?しかし、チェチェン共和国軍の司令官だった故ドゥダーエフ大統領の

 司令部は、野戦用のテントだった。そこには調度品もなければ、作戦用のコンピューター

 すらなかった。あったものは、当時遂行中だった作戦用の軍用地図と、通信機のみと

 いわれている。まぁ、寝るためのシュラフくらいはあったかもしれない。

 

これを魔術儀式にあてはめれば、通信機は、魔術三角と黒鏡が相当すると思われる。

まぁ、これがないと、命令することができないから、作戦司令部では必要不可欠な

装備ではある。しかし、それはあくまでも作戦遂行上、使えれば便利、という程度の

ものでしかないのも確かだ。状況によっては、使えないこともままあるわけだし、

そもそも、軍がそれによって成立するかどうかが決まるものでもない。

 

では、何か?まぁ、答えは副題にもあるから、謎解きもへったくれもないが、ずばり

『軍旗』だ。司令の持つ軍旗に人は集まり、軍としての体制を構築する。

 

もちろん、これは実体としての旗の形を取る必要は、必ずしもない。

 

形にならない、イデオロギーのような場合も多々あるだろう。しかし、イデオロギーとは

しばしば、うつろいやすい物であるから、やはりできるだけ実体としての旗ないし、それに

代わる物を用意した方がいい。

 

これはG.Dの東旗や西旗とはまったくちがう。あれはその結社が魔術的な意味合いの図案を

それらに求めたものでしかなく、重要度がまるで違う。

 

魔術士が掲げる旗には、その魔術士が、果たして魔術で何がしたいのか。何をするのか。

内外に示す象徴としなければ、意味などない。己にも、化け物にも、はっきりわかる形でだ。

いわば、司令官の分身である。

 

実際、魔術を初めてやろうとする人は、まずその初期出費に泣かされる。だが、それを百も

承知で、あえて断言する。

 

己の旗を掲げる者は、その旗の製作に、まずその時の己の全てを賭けるくらいの意気込みが欲しい。

 

旗が実体を伴っていない場合は、もちろん、金銭面での出費は、0だ。取るに足らない旗を

掲げるくらいなら、その方が潔いくらいだが、その場合は、自らの行動のみがその旗の代わりに

なるものと、心しなければならない。

 

考えるだけなら、誰でも考えることはできる。

言うだけならば、誰でもできる。

 

己の心にのみ、旗を掲げるとは、他人にはもちろん、化け物からだって見えないのだから、

常にその旗に基づいた行動をとるしかなくなる。でないと、自らがその旗を裏切ってしまう

ことになる。自ら裏切る旗に、何で他人が従うだろう?

 

もうお気づきだろう。旗という形態が便利なのは、掲げることもできるのはもちろん、降ろすことも

でき、たたむことも、仕舞うこともできるからなのだ。公私の別をつけることが、いかに負担を

減らすか、実践してみれば、誰もが簡単に納得すると思う。

 

ちなみに、俺の旗は、最初は、官公庁でも使っている、正式の日の丸だった。正確には、海自で

使っているものと同等品。あれ、きちんと縫いで作るのって、意外と職人技なんで、持ってみると、

感動できる。調子こいて、軍艦旗やZ旗も使ったりもしたけど、それは俺は根本的にミーハーなんで、

それは仕方がない。魔神にZ旗の意味が伝わったかどうかは不明だが。

 

これは完全に余談だが、この旗の入手経路を利用し、俺が通っていた大学の、ゼミの担当教授が、

海外の大学と姉妹提携企画の担当になった際、どうせなら、旗の交換と洒落こもうと、もちろん

マッサラの日の丸の旗を教授にプレゼントした。すると、提携先の大学が喜んだと同時に、非常に

苦労したらしい。

 

おかげで、こちらの本気さを示すことになり、提携交渉はよりスムーズになった(教授のリップサービスを鵜呑みにすれば、の話)ものの、相手もフォーマルな国旗を急遽用意しなければならなくなり、

てんやわんやになった(痛快だった、とのこと)。

 

日本人を舐めてかかる奴は、こういう目にあうのだ。わはは。

 

今使っている旗は秘密だが、それも別に完成形ではない。

 

旗は軍の思想的よりどころではあるが、あくまでも司令官の分相応の範囲のできるだけ、で構わない。

むしろ分不相応なのはまずい。この辺のさじ加減はくれぐれも慎重に。

 

V-2 魔術三角と黒鏡

 

軍旗ができれば、次はいよいよ作戦活動のための備品、ということになる。まぁ、色々必要ではある

んだが、まずは必須中の必須ツールである、魔術三角と黒鏡についてをば。

 

流派や、化け物に対する考え方はともあれ、黒鏡は神秘なる力と接するのに必要。形は円形。大きさは

人それぞれ。平面鏡もしくは凹面鏡が一般的。両方試してみたが、俺の場合は平面鏡の方が調子は

良かった。

 

ここに化け物を視覚化し、命令を下すのが、儀式魔術のクライマックスだから、儀式の最重要アイテム

ではあるだろう。では、この黒鏡って、何?

 

少なくとも、ゲートの類ではなさそうだ。ゲートの役割は、むしろその周囲を囲む魔術三角の方が

しっくりくる。

 

初心の頃、この三角の封印が不十分のままにするというミスをしでかして、そこから化け物が大挙して

現れたため、多くの同僚に迷惑をかけた前科が、俺にはある。黒鏡はその封印とは一緒にしてなかった

から、というのが、その「しっくり」の理由。もちろん、これは俺の体験から受けた印象でしかない

のも確かなので、黒鏡にゲートの役割がまったくないかどうかは、不明。

 

体験による印象を続けさせてもらうと、黒鏡は、ホログラム投影機のようなものと思った。

化け物本体は別のところにいて、その黒鏡の映像をつかって、こちらと交信する具合だ。

これは化け物が実在せず、己の心象の投影だとする流派でも、説明はつくだろう。

 

この黒鏡は、必ずしも鏡である必要はない。色ムラさえ抑えられれば、紙を黒く塗っただけでも

構わない。化け物の視覚化補助道具、程度の扱いで、慣れてくれば、黒鏡そのものを視覚化するのも

よいだろう。

 

これは三角にしても同様だが、もちろん、最初はきちんと形として作るのがよろしい。

魔術三角。G.Dの物が有名だが、俺が使ってたのは、ずいぶんと変わってしまった印象がある。

三角で重要なのは、その周囲を囲む神名だというのは、誰もが思うだろう。

 

しかし、TETRAGRAMMATON、PRIMEUMATON、ANAPHAXETONと

書いてあったとして、それを読まずに、ダイレクトに見るほど、俺はアルファベットに馴れて

いるわけではない。ましてやMI、CHA、ELと分けて書かれているものを、そのまま

ダイレクトに「見る」ことは、俺には無理だ。どうしても、綴りを読んでしまう。

 

読むということは、それだけ集中をそちらに逸らされてしまうわけで、術の進行上、よろしくない。

G.Dの魔術三角がアルファベットで書いてあるのは、連中は英語圏だからなのだろう。

 

はい。ここであなたの魔術三角を見てみよう。もし、さして深く考えず、G.Dのを丸写ししていた

ならば、もう一度考えた方がよい。あなたの儀式は、形骸化していないかどうか?

 

つか、テトラグラマトンは兎も角、プリメウマトン?アナファセトン?神学でもやらんと、

聞いた事もない名前だろうに。そんな連中に大事な三角の守りを託せるのか?

まして、テトラグラマトンなんざ、

「私は呪いの神である。私は妬みの神である。私は私を信じる者を罰する」と言い切っている

張本人なんだぜ?

 

英国人は、生まれると、国教会だろうがカトリックだろうが、幼児洗礼なるものを受けてるんで、

個人の宗派信条は兎も角、テトラグラマトンの名前には、相応の重みがあるだろう。だが、生憎

俺は日本人なんで、それは「単なる異教の神」の一つでしかない。

 

そこで考えた。どうせなら、馴染み深い連中に任せよう、と。もちろん、候補は山ほど出たが、

そこは立場とフィーリングで(いくら馴染みがあるからとはいえ、東洋系は流石にまずかろう)。

 

キシオブバーグ、アリオッチ、ナベロート。黒鏡の周囲にはバ、ア、ル。全部カタカナ。

平仮名バージョンも試した。あまり大差はなかったが、カタカナの方が、若干調子はよかったと

思う。もちろん、これは俺個人の勝手で作ったものなので、人によって様々だろう。結果的に、

G.Dと同様になる場合もあるだろう。だが、考えて作った場合と、ただ引き写しにするのでは

違う。まったく違う。

 

あと、引き写し、で補足。

 

ネット世代が多くなってきたせいか、聖なる図形やシジルなどの画像を、どこかからか引っ張ってきて

使っている人がいるが、これは効果的手法とはいえない。たとえば、このホムペの扉絵である

「天帝ルシフェルの11芒星」をコピーペーストして流用したところで、意味はない。もちろん、

再聖別化し、パワー充填すれば、その限りではないのだろうけど、それなら、最初から自分で書いた

方が早いと思う。

     

     V−3 燭台

 

儀式魔術において、三角と同じくらい、ある意味ではそれ以上に大事なのが、燭台。

というのは、三角や黒鏡、或いは魔方陣すら視覚化でどうとでもなるが、これはそういうわけには

いかないからだ、というのは、表向きの理由。

 

実は、この項目には、魔神アスモデウスが絡んでいる。

 

魔術を始めたばかりのころ、ある依頼の達成のため、アスモデウスを召喚した。だが、どうも動きが

悪い。まぁ、世間では儀式を行って、その効果が現れるのは、早くて三ヶ月、大抵はそれ以上。

二、三年というのもよくある話。何十年、ってのもあるが、そんな事、当時西洋魔術結社と接触して

いなかった俺が知るはずもない。寺の速攻戦を見知っていた俺(でも、実は密教だって、

普通はそんなに早いわけではない)は大いにじれていた。

 

そんな懸案を抱えていたところ、俺の部屋に同じ下宿の友人が訪れた。仮にAとしておこう。

だが、様子がおかしい。

つか、人間の目をしていなかった。

 

A「お前さん、西洋魔道始めたんだって?」

俺「え?」

もちろん、そんな事は誰にも言うはずがない。

 

A「西洋魔道なら、燭台が必要だな。銀色で、枝が五本のやつ。教会用に聖別化されていると

  なおよし」

俺「は、はぁ」

聖別化?そんな専門用語、何で知ってる?

 

A「カトリックのは装飾がありすぎて駄目だな。意匠が邪魔になる。その点、プロテスタントのは

  シンプルでかつ、美しいからよいぞ。蝋燭も聖別化されているのが、同じ店で手に入るだろう」

俺「ご親切にどうも」

 

A「店の名や場所は、お前さんの仲間たちに尋ねるとよい。蛇の道は何とやらともいうだろう?

  じゃあ、頑張ってね」

俺「ありがとう」

 

Aは、何とも深い笑顔を浮かべ、そのまま部屋を出ていった。翌日Aに燭台について尋ねたが、比叡山

がどうとかこうとか言っていた。まるで憶えていないらしい。

 

昔のことだから、口調とかはあまり覚えていないが、できるだけ正確に再現すると、こんな感じ。

早速寺で聞いたところ、確かにそういう店はあった。しかも、店頭に燭台も展示してあった。

 

思わず絶句した俺。これが奇跡というやつか?

 

店員「この燭台が、どうかされましたか?」

俺「いえ、実は友人が寺を作ろうとしてましてね。僕も何か協力できないか、と思ってたところ、

  僕の部屋に、ある方が別の友人の姿をとって訪れまして。燭台が必要だと言うんです。

  プロテスタントの、教会用に聖別化されているやつ。枝が五本で色は銀。

必要ならば、用意するしかないじゃないですか。これ、聖別化されていますよね」

 

店員「ええもちろんです!」

俺「蝋燭もございますか?聖別化されているものが」

店員「もちろんございますとも!」

 

俺「いやぁ、本気でびっくりしましたよ。まさかこのような、素晴らしい燭台があるなんて。

  これは美しい」

店員「まさしく、奇跡ですね!そうですか!イエス様は、そういうお姿になって私達をお導きに

   なることもあるのですね!」

 

言えない。とてもじゃないが、アスモデウスが教えてくれたなんて、言えない!

ちなみに、一ヶ月後、蝋燭が尽きたんで、再びその店に買いにいったところ、いきなり信者達に

囲まれ、「奇跡に出会った人」として、拝まれまくったが、それは余談。

 

後に、混沌魔術師の黒野忍氏のルートを活用させてもらい、蝋燭はより魔術に適したものに

変わったが、燭台そのものは、儀式魔術師現役引退に伴い封印するまで愛用した。

 

V−3−a 燭台の効用

 

儀式魔術において、光源は絶対に必要となってくる。儀式を行う場所は、締め切った密室で行うのが

普通で、必然的に真っ暗になってしまう。化け物は、電気と湿度に大きく影響を受ける。まぁ、力を

失うとかとは違うが、儀式の進行上、化け物の作用が大きい方が良いことには変わりはない。

 

というか、理屈はともかく実際に行っていて、機械が壊れることが多いんで、使いたくない、

というのが本音。

今まで、どれだけ多くの機械が壊れてきたことか(泣)

 

まぁ、壊れたのは多くはAV機器。CD、DVDはセンサーがいかれる率が高い。でも、悪魔祓い行で、

ライトを砕いた奴がいた事実はあるので、光源系も使用はできるだけ避けた方がよいと思う。

 

それなら、ランタンでもあんどんでもいーじゃん、という話もあるだろう。窓を曇りガラスにして、

外から覗かれないようにして、昼にやる、という手もある。

 

実は、儀式進行での化け物とのコミュニケーション手段として、有効なのだ。

聖別化された、五本枝の燭台とは、中央に一本。四方に一本ずつの枝がある形。各方向が、それぞれ

象徴している要素があり、その炎の異常な揺らぎが化け物が何を言いたいのかわかる、という道理。

 

どの方角が何を象徴しているかは、多分流派によって異なると思うから、記述は避ける。まぁ、

化け物とコミュニケーションがとれれば、それでよし。

 

儀式を行い、化け物とのシンクロ率が高まれば、魔術的思考に、化け物の思考が割り込んでくる事は、

ままあるが、それが「単なる思い込み」でないと、誰が言えよう?黒鏡に映った視覚化映像も同様だ。

だが、炎の異常な揺らぎは、物理的事象ではある。もちろん、蝋燭の炎は、通常でも揺らぐもの。

炎は一定ではない。だから「異常」と言っても、それすら自然現象、ないしは蝋燭製作精度の技術上の

問題によるものかもしれない。

 

そういった疑いを持つことは、当然であり、また必要だ。奇跡が儀式でどれだけ起きようと、

ポルターガイストがガンガンあろうと、結果が伴わなければ意味はない。

魔術は結果が総てなのだから。

 

V−4 魔術用短剣

 

屋内儀式実行にあたり、燭台と同様に重要な魔術道具が、魔術用短剣をあげることができる。

わが国の銃刀法においては、刃のついていない模造刀であっても、正当の理由なく携帯することは

違法だ。もちろん、魔術儀式など、正当の理由として成立するわけがないから、屋内儀式専用となる

道理。

 

俺には、ナイフクラフトの趣味はないから、魔術用短剣は、既製品を使うことになる。

思えば現役の時から、今現在に到るまで、そこそこ多くの魔術用短剣を使ってきた。

最初は、ウィルキンソンのペーパーナイフを愛用していた。『エクスカリバー』という偉そうな

名前がついていて、刃はついてはいなかった。使用感もよく、性能は申し分なかった。

 

次に愛用していたのは、日本帝国海軍の兵学校短剣レプリカ。現在、海自の関係者に個人的記念品

として流通しているもので、専用のベルト(実際はサーベルにも使えるが)が用意されていた。

実は兵学校短剣は、本物も刃はついておらず、刃がついてあるものは、刀身を交換したものらしい。

もう亡くなったが、旧帝国海軍の中佐で、海自では二佐を勤めた爺さんが営む店で購入。

 

その爺さんの話では、海軍で実際に使ってたものより、物は良いらしい。もちろん、こちらとして

は、比較のしようのない話ではあったが。現存している実物は経年劣化が激しいし。

 

ちなみに、廉価版で、スペイン・デニックス社で出しているものがあるが、これは実は兵学校短剣

ではなく、軍楽隊短剣のレプリカ。海外公演の時などに、資料を得て作っているのだと思う。

この辺のこだわりはするべき。楽隊のを兵学校のだと思っていると、思わぬ恥をかく羽目に。

 

現役時、最後に使っていたのは、江戸新刀の無銘の短刀。複数の霊視能力者の話を信用するならば、

人は斬ったことのない、まっさらの物だった。ま、いいだけ化け物は斬ったが。

 

現在使っている魔術用短剣は、数振りあり、刃はついていたり、ついてなかったりする。

 

オールド・ガーバーは、使えるものが多い。ハイス鋼はどうやらかなりの浄化、対化け物戦闘能力

があるようだ。流石は売れば売るほど赤字になる、伝説の材質だけのことはある、ということか。

 

ゲームとかで有名なダマスクス鋼は最低。あれは使うための材質ではない。あまりに不純物が多く、

鋼質を変化させれば日本刀に近いという、大いなる勘違いから生まれた材質。趣味的に好きなら

別に入手を引きとめはしないが、錆防止のコーティングが剥がれると、勝手にさびてくるので、

あれを好きな人は、決して使わないのが普通。

要するに、コレクターズアイテムでしかなく、使えない刃は、実践魔術においても「使えない」。

それならば、いっそ刃のない模造刀の類の方がはるかに良い。意味のある形、という方面では

模造刀でも良いものがいっぱいあるからだ。

 

ハンドルの質にもこだわりがあるとよい。良質のスタックハンドルは最上。魔術による異常発汗が

あろうと、滑ることはほとんどない。逆に象牙やマイカルタは最低。なぜ滑りやすい材質を、

わざわざハンドルに使っているのか、理解に苦しむところではある。木やプラスチックは、

質や形状によりピンキリだから、実際に持ってみるのが一番だ。ちなみに、オールド・ガーバーの

ウッドハンドルでは、外れには出会ったことは、今のところない。

 

こう書くと、いかにも俺は鼻持ちならないオールド・ガーバー信者のようだが、実はオールド・

ランドール信者だったりする。もっと鼻持ちならない(笑)

残念ながら、今は一本もないから、ただ信者だってだけ〜ノシ

 

V-5 魔術用ワンド

 

短剣と同様に重要なのが、ワンドである。こちらは短剣とは異なり、製作する上で、法的規制がない

のが実に有難い。まぁ、具体的な製造法は魔術武器製作篇に譲るとして、ここではワンドの意義に

ついて触れる。

 

ワンドとは何か。

 

二つの意味を持っている。一つは魔術士の権威を裏づけするものとしての意味。もう一つは視覚化の

補助道具としての意味がある。中にはさらに、攻撃武器としての意味を持たせた物も多いわけだが、

これは追加機能としての役割でしかない。防具としての機能についても同様である。

 

では、まず権威について。指揮官は、象徴として指揮杖なるものを持っている。実際に杖の形を

している場合もあるし、階級章にその意味を持たせたものもある。軍旗が兵を集めるための象徴なら、

杖は兵を指揮するための象徴。おそらく王笏が原型だろう。つまり、これを持つことが、指揮官として

部下に示す証となる。魔術用短剣を腰に差し、ワンドを持つのが基本スタイル。

これに後述の銀の指輪、魔術用ローブで一応完成する形になる。

 

次に視覚化の補助道具としての役割について。五芒星の小儀礼をする時、最初に四方に五芒星を切る

わけだが、その時ワンドを用いた方が、視覚化しやすい。魔術書によっては、ワンドがなければ手刀で

構わない、とするものもあるが、これはたとえ初心であっても実践者を馬鹿にしすぎの記述だと思う。

 

まぁ、背に腹は変えられない、ない袖は振れないの道理で、俺も手刀を認めたことはある。だが、

五芒星を炎で視覚化し、その熱を感じるのが成功である以上、手刀なんぞを使って、もし火傷でも

したら、どうするんだ?という疑問が残る。俺がかつて認めたのは、

 

「術とは命がけで行うもの。己の体一つが資本なら、手の一本や二本、最初から諦めておくことだ」

 

という論拠から。別に、ワンドなんぞなくたって、云々、ということではない。

 

また、ワンドの代わりに、魔術用短剣を使い、五芒星を切る、というやり方もあるが、魔術用短剣は、

武の象徴ではあるが、あくまでも兵器。術の乗具合によっては、亜空間をも切り裂き、(刃の有無には

関係なく)己の兵を傷つける場合があるので要注意。

 

ワンドの使用は、五芒星の小儀礼に留まった話ではない。離れたところに、シジルを視覚化する際に

使用することもままある。この場合だと、魔術的筆記用具といったところか。また、そもそも魔方陣

を描く場合にも使うことも多い。野外儀式で使用すれば、霊的には兎も角、物理的証拠は残らないので

便利だ。

 

攻撃に使用する場合は、五芒星の小儀礼の応用で、視覚化した炎を飛ばしたり、人工霊的生命体を

飛ばしたりする使用法が多い。俺の自作ワンドの先端に、必ず水晶柱がついているのは、その方が

そういった使用法に便利だからである。防御に使う場合も、魔方陣設置と同様の使い方をする。